寄り道 ベトナム

ここでは、「寄り道 ベトナム」 に関する記事を紹介しています。
ただのタイが好き、そして旅が好きなTripuncle代表の旅行ブログです。

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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

トリップアンクル縮小版


1998年のことでした。
当時は、バンコクからベトナムへ旅に出てみました。
特に何も考えずに無計画な旅です。

ベトナムの国の情報はいろいろ入っていましたが、まあとにかく行ってみて自分の目で確かめるしかないと、思っていたので、気合を入れての出発です。

今まではなかなかタイから脱出できていなかったので、今回は思い切りました。
特にタイの首都バンコクは、私にとって居心地がとてもいいのです。
いつも来るたびに、他の土地へ行くのが億劫になり、ついついバンコクの滞在で旅が終わるということも、何度も経験しました。情けない限りです。

今回は、ホーチミンへの片道航空券は、エールフランス航空を選択しました。
一番値段が安く、ホーチミン到着の時間帯も悪くなかったので、選んでみました。
通常であれば、タイ航空かベトナム航空になるのでしょうが、何故かバンコクからの以遠権を持つエールフランス航空が一番安いチケットを提供していました。
ちょうど、日本からバンコクへ来る時の、ユナイテッドやノースウェストのアメリカ系航空会社と同じような感じですね。

フライトは順調で、ホーチミンへの降下を開始。
飛行機の窓から地上を見た第一印象は、何もないなあ~です。
見渡す限り、田園風景です。農業に適した肥沃な大地が、延々と広がる。そんなイメージでした。
思ったより田舎かもしれない・・・・。

物を知らない私は、ベトナム=タイみたいな勝手なイメージを持っていたものですから、尚更です。
時折、ベトナム戦争の爆撃で空いた穴でしょうか。
大きな穴が空いて、そこに水が溜まったような溜池がいくつか見えて、飛行機はホーチミンの滑走路にタッチダウンです。

いよいよベトナムの旅がスタートです。


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無事にエールフランス機は、ホーチミン(旧サイゴン)の長い滑走路に着陸。
駐機のためのスポットへ向かいました。
機内の私は、初めての国に訪れるという不安と期待が入り混じったなんともいえない気分でした。
「なんとかなる」「やばいかもね」という二つの気分が心の中でぶつかり合って戦っています。

飛行機を降り、ベトナムへの入国審査は何の賄賂も要求されずにめでたく通過。
(当時はビザが必要でしたが、現在は15日以内の滞在ならノービザでOKのようです。但しパスポート残存期間が3ヶ月必要です。情報は流動的ですので、旅行の前に必ず確認を)
税関はあってなきものです。

いよいよ本当にベトナム第一歩です。
ところが、飛行機を利用しない一般人が入ってこれるエリアと、飛行機から降りて来た者しか入れないエリアの、ちょうど真ん中の境界線を挟んで、むこうとこちらでは、まったく別世界のように見えました。

私のいるこちら側は、飛行機を降りた客がごく僅かだったのか、他の客はツアー客の外人が多かったせいなのかわかりませんが、皆あっという間に居なくなり、妙に閑散としていて、残されたのは私ただ一人というような状況になってしまったのでした。
一方、境界線の向こう側は黒山の人だかりです。皆一様にこちらを見ており、その見ている目、目、目は、全て私に注がれているように感じ、その視線に釘付けにされた私自身は身動きが取れない状況に陥ってしまったのでした。

もしこのままあのラインを強行突破して、空港の外に出れば、あのたくさんの集団にあっという間に囲まれ、偉いことになりそうな予感が・・・・。
皆、私が出てきたら、どうやって自分のタクシーに乗せて、ホーチミン市内のマージンの入るホテルに誘導するか、ということを考えているに違いありません。
非常にギラついた目で、まるでカモが来たぜ。という風な目つきで私を見ていました。

さてどうやって、ここをくぐり抜けてホーチミン市内へ向かったらいいのか、思案のしどころというか、一つの試練となったのでした。
(つづく)
空港の出口の境界線を挟んで、対峙していた私と多くのベトナム人ですが、その中から一人の男の人ががすっと抜けて、こちらへ歩いてきました。

ぐっと身構える私。
「ハロー、タクシーが必要ですか」と英語で聞いてくる男。
胸には、空港の職員らしき顔写真入りのバッジが付いているが、こんなもので信用はできない。
偽物のバッジもあるだろうに・・・
しかし、この膠着状態を抜け出るには、よいチャンスと思った私は、「市内までタクシーはいくら?」と聞いてみました。
「ホテルの予約は?」
「してある」(ウソ)
「どこのホテル?」
「○○○ゲストハウス」
「OK.15ドルだ」
なるほど、ぼったくってきたなと思いました。
事前情報では、高いことを言われても、交渉次第で7ドルまでは下がると聞いていたので、粘り強く交渉。しかし、あっけなく7ドルとなってしまいました。
少し拍子抜けです。

交渉がまとまったので、その男の後に付いて、境界線を突破です。
案の定一斉に私に群がる、ベトナム人の男たち。
ホテルがどうの、この男よりこっちの方が安い、サービスが違うなどなど、もうめくらめっぽう営業してくるが、全てを無視して私は空港の外に出ました。

さらにトボトボ歩き、空港のパーキングの端に停車していたタクシーに案内されました。
車体は普通のタクシーであり、白タクではなかったので、少々安心です。
ただ運転手は、この空港の男ではなく、別のベトナム人でした。
こうなれば運を天に任せましょう。ということになり、意を決して案内してくれた男に礼を言い、タクシーに乗り込んだのでした。
(つづく)



そうして、やっと空港から市内へ入ることになりました。
乗ったタクシーは、走り出しましたが、その道は本当に合ってるのかどうか知る由もありません。
こんなところにも、初めての国に来たときのスリリングさがあるのかもしれませんが。

ホーチミン市内へ向かうタクシーから、街を眺めてまず驚いたのが、バイクの多いこと多いこと。
信号待ちで停まろうものなら、周囲をバイクに囲まれてしまいます。
そのバイクも、3人や4人平気で乗っています。バイクといってもカブです。
要するに、家族全員がそのまま、カブに乗っているんです。
お母さんが子供をおんぶしたり、だっこしたり、ハンドルを握るお父さんの前にもう一人子供が乗ったりと、日本じゃまずあり得ない乗り方をしているんですね。
これには衝撃を受けましたよ。

市内へだんだん入っていくのは、わかるんですが、一向に大きいビルがないんです。
これは私の大きな勘違いで、ベトナムもタイとそんなに変わらないだろうという風に思っていたので、余計にそんな風に感じたのかもしれません。

30分くらい走ったでしょうか。
到着したとのことです。
辺りを見回してみると、殺風景なところです。
しかしよく見ると、211ゲストハウスの看板が見えたので、そのままUS7ドルを払ってタクシーを降りました。

後で聞いた話だと、このケースは非常に珍しく、普通は運転手と契約を結んでいるホテルに行きたがり、なかなか自分の言った目的地に行こうせず、トラブルになるケースがほとんどだそうです。
一回で、ノートラブルで空港から市内へ、しかもタクシーで運ばれた私は、かなりラッキーであったとのことでした。
他のホーチミンに行った友人に聞いても、やはり空港から市内へのタクシーでは必ずトラブルが生じているとのことでした。ホテルを予約してあると言っても、「いや、そのホテルはクローズしている」とか適当なウソをついて、運転手自身の利益になるホテルへ連れていくんだそうです。

現在はどんな状況なんでしょうか。
そうして、空港から大したトラブルもなく無事に市内まで運ばれた私は、さっそく211ゲストハウスにチェックインです。
運よく空き部屋はありました。

このゲストハウスの奥さんはとてもよい人で、
私を部屋に案内する前に、ホーチミンシティでの滞在の注意点を伝えてくれました。
・シクロ(自転車風の人力車)には、できる限り乗らないこと。
もしどうしても乗りたいなら、このホテルの前からだけ。
その時はここの従業員が交渉してあげるとのこと。そうでもしないと、シクロのトラブルが後を絶たず、毎日ツーリストは大変な目に遭っているからと言っていました。
・街には変な人がいて、たくさん声を掛けてくるが、全て無視すること。
これも、のこのこ付いていき、金を巻上げられるケースが後を絶たないようでした。

以上が主な注意点でしたが、まだ街を歩き出していない私としては、いまいちピンと来なかったのですが、後に町に出てみて、その奥さん言っていた意味がよくわかることになるとは、思いもよりませんでした。

もう夕方に近かったのですが、早速ベトナムドンという現地の通貨を手に入れるために、両替を兼ねて、街歩きです。
なるほど、ゲストハウスを出ると、シクロがさっと寄ってきました。
そして、無視しても、「どこ行く?」「ジャパニか?」だのいろいろ聞いてきて、離れはしません。
やっと居なくなったと思ったら次、そしてまた次と、何台も何台もやって来ては、仕方なく離れていきます。
これから、もっとこのシクロには悩まされることになるのですが、このわずか数百メートルの移動だけで、こんなに何回も声を掛けられるようでは、この先が思いやられるなあ。
と感じたのが、まずホーチミンの町を歩き始めての感想でした。

ホーチミンに到着の翌日から、早速街歩きを開始しました。

歩き出してからすぐに気が付きましたが、とにかく、シクロがすぐに近寄ってきます。
ベトナムのシクロは、自転車の前面に人が乗車できるように、人力車のシートを括りつけたような、一風変わった乗り物なのですが、これがまたしつこいこと・・・。

「ハロー」と近寄ってきた後、
歩いている私の横にピタッとつけて、同じ速度で走ります。
動力は人力なので、いくらでもスピードの調整が効きます。

しばらく無視して歩いていると、やがて彼らはおもむろに自分のポケットから手帳を取り出して、見るように言います。
何だろう?と覗き込んでみますと、そこには日本語で、
「このシクロの運転手さんはとてもいい人です」
「いろんな所へ連れて行ってくれて、とても親切にしてくれました」
「とてもいい人です、これを見た日本人の方、ぜひ利用してください」
などなど、いいことがたくさん書いてあります。

もしかしたら、本当かもしれません。
信じたい気持ちも正直ありました。
しかし、この手のシクロは、あまりにも追尾が厳しく、どんなに無視しても、どこまでも追いかけて来ます。
ちょっと店に入って買物をしていても、ご飯を食べていても、お茶をしていても、ずっとその店の前で待っていては、また私を追い掛け回すのです。
こんなシクロが、本当に良い人なんだろうか??というのが正直なところでした。
だって普通は諦めて他のツーリストに声を掛けますよね?
時間にしたら、2時間くらいは追尾を受けたこともあります。少し怖くなりました。

なので、私はホーチミンの初日からシクロが嫌いになりました。
だって、しつこすぎます。

もうこれは10年以上も前のことですが、現在のホーチミンのシクロは、少しはましになってくれていることを願います。
こんな感じでベトナムに馴染んでいくことになったわけです。

次はまたホーチミンの町について書いていきます。
(つづく)
シクロの追尾に怯えながら、街歩きをする毎日になりました。
初日でシクロが嫌いになってしまった私は、ホーチミン市内を回るとしたら、もはや自分の足しかありません。
ホテルの奥さんの言う通り、これではシクロに乗るには、トラブルをある程度覚悟しないと、いけません。
代わりに、レンタサイクルもあったのですが、バイクが大量に行きかう街中を、どうしても自転車に乗りたくなかったので、歩くことにしたのでした。

そんなある日、ホーチミンの街を、シクロに追尾されながら歩いていました。
とことこ歩き、統一会堂(旧大統領官邸)の前まで来ました。
この場所は、ベトナム戦争終結時に、北ベトナム解放軍の戦車が鉄柵を突き破って侵入し、屋上に掲げてあった星条旗を引き降ろして、ベトナムの旗を揚げたという歴史ある場所なのです。

私は、その戦車が突き進んできたであろう道をじっと見つめ、歴史の重みに浸りたかったのですが、そんなことはさせてくれないのがベトナムです。
道から旧大統領官邸の正門を見つめ、歴史に思いを馳せ、当時の状況を空想しながら、ボーっとしていると、どこからともなく、これを買えと言っては、ベトナムジッポ売りが来たり、例によってシクロが近寄ってきたりと、油断もすきもあったものではありません。
そういう攻勢を受けながらも、歴史の重みを実感しようとする私。

全てを無視する私に、痺れを切らしたのか、一人のアイスクリーム売りの子供が近寄ってきて、強引にアイスをカップに盛り、おもむろに私の目の前に突き出したのです。
すごく人の良さそうな笑顔で、「フリー!プレゼント!」というではないですか。
まさかそんなわけはないだろうと訝る私に、それ以外の、周りの物売りの子供や、シクロの運転手が寄ってきて「食べろ!」と迫ってくるではありませんか。

この後、このベトナムの地で、地獄の10ドルアイスを買わされそうになります。
詳しくは続きで書きます。
統一会堂前で、物売りとシクロの攻勢を受けていた私ですが、
次々にやって来る物売りをすべて無視していました。

そんな態度の私に痺れを切らしたのか、一人のアイスクリーム売りの少年が、無理やりカップにアイスを盛り、私の目の前に突き出しました。
当然のごとく無視する私。

そんな私の態度をあざ笑うかのように、屈託のない笑顔で、
「フリー!プレゼント!」
タダなわけないでしょ。どうせこうしておいて、後になって金を請求してくるに違いない。と踏んだ私でしたが、この件では外野が黙っていませんでした。
周囲に居た別の物りやら、シクロの運転手やらが、近寄ってきては、私にそのアイスをもらうようにそそのかします。
頑として受け取らない私。
そんな様子を見かねたのか、5人ほどの物売りとシクロの運転手がやって来ました。
そして皆で、私にアイスをただで貰えと言ってきます。
そして、そうこうしているうちに強引に手にアイスカップを握らされてしまいました。

その後は食べろ攻撃です。
一口でも食べないと、収まりそうもない場の雰囲気に飲まれ、一口食べてしまいました。
そうこうしているうちに、アイスの少年の目つきがだんだん変わってきたのがわかりました。
これはやばい方向へ行っている。と感じたのもつかの間でした。

ついに来ました。やばいお告げです。
その少年は、さっきまでとは打って変わり、全く違う険しい表情で、食べたのだから10ドル払え!と言ってきたのです。
周囲もそれに同調して、10ドルだと言ってきます。

あまりの法外な料金にぶち切れる私。
ハーゲンダッツだってそんなにしないって言うの!
思わず日本語で怒鳴り飛ばしましたが、多勢に無勢です。
とにかく負けじと大声で、それも日本語で怒鳴りまくっていましたが、何となく不利な状況になっていき、身の危険を感じた私は、隙を見て約10000ベトナムドン(当時のレートで約1ドル)を強引に、アイス売りの少年のポケットにねじ込み、ダッシュで逃げました。
どこまでもどこまでもひたすら走り続けました。

その後追いかけてこないところを見ると、たぶんいつも彼らは、グルになってこういうことをやっているのでしょう。
10000ベトナムドンでも、彼らにしたら大金ではないでしょうか。
だってアイスはほんの一口しか食べていないのですから・・・。
それも押し売り同然ですからね。

ますます、ホーチミンが、嫌いになっていきました。
現在でもこの手口は横行しているのでしょうか。もしベトナム旅行をお考えの方。ご注意を。
ホーチミンの街は、うかうか歩いてもいられないので、ここは気分を換えて郊外へ観光に行くことにしました。
ベトナム戦争当時に、迷路のように掘りめぐらされた、トンネルが郊外にあるというではありませんか。
早速、近所の旅行代理店、シンカフェで申し込んでみました。

流石にこの旅行代理店は、外国人観光客の出入りが多く、たいそうなぼったくりはないであろうと信用して申し込むことにしました。それほど高くは言われずにほっとしました。

当日になってみると、同じ日帰りのツアーに日本人が2人いました。
話を聞いてみると、やはり彼らも私と同じようなえらいぼったくりの目に遭っているものの、めげずに旅を続けているようでした。

総勢15人くらいになり、マイクロバスに乗って出発。
クチのトンネル、土産屋、昼食といった感じのツアーでした。

この日のクチのトンネルのツアーでは、ベトナム戦争で、何故アメリカが勝てなかったのか、その一部がわかった気がしました。もちろんこの意見には賛否両論あるだろうし、様々な角度からの検討や議論もひつようかもしれませんが、この時ばかりは、直感的にわかった気がしたのでした。

とても狭い、人が一人やっと通れるくらいの幅しかないトンネルが、そこかしこにわからないように張り巡らされているのですから・・・・
米軍はかなり苦戦したのではないでしょうか。
それを勝ち誇ったかのように説明するガイドのおじさん。

他の日本人も、同意見であり、ベトナム戦争の一部を見たような気がして、3人でなんとなく暗い気分になったのを覚えています。

ホーチミンのレストランでは、ご飯を食べるのも、うかうかしているとぼったくられてしまいます。

どこのお店でも、入って席に付くとまずメニューを持ってきてくれます。
このメニューがくせものなんですよ。
これを見ながら注文して、食べ終わって会計の段階になると、
「あれれ?高くない?」
どう考えても高いので、抗議するとメニューを持ってきます。
そのメニューの料金は明らかに、最初にもってきたのと異なる、当然倍くらいに設定した料金となっています。もうひとつのボッタクリメニューなんです。
「最初のメニューは?」と聞いても、知らぬ存ぜぬ。
「そんなものはない。これをお前が最初に見て注文したんだろう。何言ってるの?」
と相手にしてくれません。
最初に来た時の店員の笑顔はすっかり消え、ボッタクリ商人の顔になっているではありませんか・・・

もう一つはメニュー書き換え作戦です。
そのレストランは、黒板にメニューが書いてありました。
当然値段も書いてあります。しかも結構安かったので、怪しいなと思いつつも注文をしました。
食事が終わり、会計の段になってみると案の定ボッタクリの金額を提示されました。
即座に抗議すると、黒板を指差して正規料金だと言い張ります。
何で?と黒板をみると、明らかに書き直した後が残っていました。安い⇒高いに変更です。
さっきまで笑顔で対応していた店員から笑顔が消え、険悪なムードに。
さらに、書き直しておきながら、「これはツーリストプライスだ」と言い張ります。
「じゃあ何故最初からその料金を言わないの?」とさらにぶち切れる私。

ここベトナムではこれが流儀のようでした。

現在は少しは改善されているといいんですが・・・。
前回の記事では、ボッタクリレストランについて書きましたが、
もちろん、ベトナムはホーチミン市にあっては、全てがそんなボッタクリまがいのレストランばかりではありませんので、念のため。
ちゃんとしている所もありますよ。

ホーチミン市でも、ちゃんとした、ボッタクらない食堂はあります。
そんな店を発見するのが、楽しみの一つとなっていて、同じ宿の日本人とは情報交換を頻繁にしていました。
「私は、今日○○の店で、いつも通りの手口に引っ掛かってしまった」
「今日、○○に決死の覚悟で入ったら、意外や意外、全然平気だった」などなど、様々な情報が集まってきました。

そんな中で、宿から歩いて5分くらいのところに、タイで言うとぶかけご飯(単に器に盛られたご飯に適当なおかずを選んでのせてもらうだけ)のお店を見つけ、また10分くらいなところに、ラーメンを食べさせる屋台を見つけ、そういったぼったくられない、お店を選んで入るようになっていきました。

ラーメン屋台では、地元のベトナム人が支払うのを見ていて、同じ金額を払ったら何も言われなかったので、優良店?となりました。

ボッタクリ、吹っ掛けて来るという行動は、まあここの流儀であり仕方がないということにしても、それに反してか、ベトナム料理というのは、とても美味しいのです。
こんなに美味しい料理を取り揃えておきながら、ボッタクりという行為は非常に勿体ないなと思いました。
とても美味しいというのは、どこのレストランや食堂、屋台に入っても、まず外れがないのです。
どこでも美味しい。しかし、会計の時になって美味しさが半減ですね。
いやはや。

これまた現状はどうなんでしょうかね。

ご飯を一つ食べるのも大変なホーチミンの街。

街を歩けばシクロに当たる。じゃないですけど、
必ずシクロに付け回されます。

シクロの対策としては、もう完全に無視。
そっちも見ない、目も合わさない。どんなことがあっても無視。
というのしかないのではないでしょうか。

ボッタクリレストランの対策としては、
その場で必ず、料金を確認し、メモに書いてもらう。
「サービス」などと言って、ニコニコしながら、頼んでもいない皿や、おしぼりを持ってくるので、これらには一切、手を付けない。
などですかね。
この頼んでもいないのに出してくるパターンは多くて、私もついうっかりおしぼりを使ってしまい、上乗せ請求されました・・・。
必ずや後から請求されて問題に発展します。サービスと言うのは少ない気が・・・。

確かに、ベトナムでは外国人料金があるとのことです。
それがいかに正規と言えども、手口が反感を買うものばかりですので、こちらも腹が立つという結果になるのでしょう。
初めから、ちょっと高い料金を提示しておき、その通りに請求ならばまだ納得と考えてしまうのは、いささか日本人的になってしまいますよね。
このことを郷に入れば郷に従えというのでしょう。

しかし、こういった体験が、今後の旅行の感性を研ぎ澄ましてくれます。
危険予知とか、そういったことも体で感じることができるようになるのかもしれませんね。
旅に出て、逆にこういったことが、楽しめるようになればしめたものです。


ぼったくりとの闘いの日々に神経は毎日張りっぱなし。
出掛ければ、シクロに付け回され、休む場所がない・・・
そんな状況の中、私はタイのバンコクへ戻ることを真剣に考え始めました。

思えばベトナムに対する印象が、自分のイメージしていたものと、あまりにも違いすぎた、ということが原因でした。
今までバンコクのカオサンでぬくぬくしていたので、ここベトナムのファングーラオにきて洗礼を受けたのでした。
カオサンの延長線上に、ファングーラオがあり、ファングーラオもカオサンと同じ安宿街であるという、実に勝手なイメージを持っていたのでした。

そんなイメージはことごとく打ちのめされ、戦意喪失とでも言いましょうか。
これ以上ベトナムに留まる意味が見出せないでいました。

予定では、このままハノイまで北上して、陸路でベトナムへ入るという予定でいましたので、その辺りをどうするか、とても悩んでいました。
ある意味とても贅沢な悩みです(笑)

考えまくった結果、このまま北上してみることにしました。
バンコクへ戻るチケットが思ったより高いというのもありましたし、バンコクへ戻っても、またぐうたら生活になるのだから、ここは自分を鍛えるという意味で、行ったことのないベトナム北部へ行くことに決めたのです。
その裏には、北上すれば少なくともホーチミンよりは、全然人がよいし擦れていないという情報も得ていたこともありました。そこに賭けてみようと思ったのでした。

旧サイゴン、現在はホーチミンシティー。
本当にロクでもない街でした。

ここから北上してハノイからラオスを目指すことに決めました。
移動手段としては、割安なツアーバスを利用です。
システムとしては、毎日出発のバスで、ニャチャン、ホイアン、フエ、ビン、ハノイと各都市に泊まりながら、移動していきます。
チケットはオープンタイプなので、例えばニャチャンが気に入ったとしたなら、何泊かしてからでも次の町に移動できるというものです。
前日までにその町のオフィスで翌日のバスを予約します。
各都市間のバスは人数に関係なく、毎日運行されているので便利です。
各町にはツアーバスのオフィスがあり、提携している宿の前がたいてい終点になってるので、宿探しが面倒ならば、そのまま泊まればOKということもできます。快適さは?ですが・・・。
そうして各町々を見ながら、ハノイまでのんびりと北上できます。

一般の長距離バスもありますが、使用車両は日本で使っていた中古の路線バスを無理やり長距離使用に改造したという代物で、快適性というものは全くないと聞いていたので、その段階で根性のない私はパスしました。
何せ、ホーチミンからハノイまで40時間とのことで、そんなロクでもないバスに押し込まれたら、と考えると怖いです。
列車で行くことも考えましたが、ツアーバスの方が手軽で、何せオープンチケットですから、日程もそれほど気にする必要もなかったというのが、気ままである私にとっても好都合でした。

まずはフエまでのチケットを買って、フエから先はラオスへ陸路で入るか、ハノイを目指すか決めることにしました。
そうして北上の旅のスタートです。

まず最初の都市はニャチャンです。
話の限りではビーチリゾートということになっていますが、本当なのでしょうか。
ホーチミンで喰らっているので、何となく不安を抱えての出発となったわけです。

こうして、シンカフェで主催しているツアーバスに乗って出発となりました。

最初の目的地はニャチャンとのことでした。
朝にシンカフェの前に集合して、バスに乗りました。
総勢20人くらい。ほとんどが外国人で、みんなサイゴンに疲れたのか、この街を脱出できることに少しほっとしている面もなくはない状態でした。

ところがこのバスがまたボロいのなんの。
運の悪いことに、日本でもう何十年は使用したであろう代物で、ボディーは方向幕こそ入っていないものの路線バスそのものです。
(よかった、○○駅行きじゃなくて・・・)
車内はさすがに路線バスの座席は取り外されて、一応観光用のシートにはなってはいましたが、このシートもまたどこかで使い古されたものなのでしょう。明らかに座り尽くされていてクッションが悪い・・・。
おまけに「お降りの方はこのボタンを押してください」との表示と、押しボタンが残っているではありませんか・・・。きっと、どこかの日本の地を走って活躍していたのでしょう。
何となく愛着も湧くではありませんか。

当然のことながら、中古車にありがちな、ショックが抜けたとでもいいましょうか、要はバネしかタイヤとボディーの間には装着されてない状態なんです。
こんなバスが、ベトナムのあまりよくない道を走るとどうなるか・・・?
当然バスは、ボヨーンと跳ねながら走行していくわけです。

こんなバスで、苦痛なニャチャンへの旅が始まったのでした。
ニャチャンまでは、休憩を含めて約8時間とのこと。
到着は夕方になりますねえ。きっとバスを降りたら振動が残ってフラフラするはず・・・

しかし、他ではもっとすごいバスもあったので、この程度のバスはまだまだましな方です。
途中で案の定故障しましたが、エアコンは一応稼動していましたから・・・
流石は日本製の車です・・・・


ベトナムは、散々嫌なこともありました。
これから、ニャチャン⇒ホイアンと進んでいく旅の記録を、思い出す限り綴っていきますが、その前にベトナムの料理について、ちょっと触れておきたいと思います。

嫌だと言いながら、結果として3週間ほどベトナムに滞在してしまったのですが、これは食事の面が大きかったのではないかと思います。

ベトナム料理は、とても美味しかったです。
日本人の口に合うのでしょうか。
どこで食べてもはずれがなかった気がします。
当然美味しくても、最後の会計の段になって、ボッタクリに遭い、とても不愉快な思いをすることになるのですが、それを差し引いても、やっぱり美味しいのです。
だからこそ、嫌でも無意識的に3週間という時間を耐えられたのかと思います。

ベトナムコーヒーもとても美味しいです。
金属製の特別な入れ物にコーヒー豆が入っていて、上からお湯を注ぎ、その注いだお湯がコーヒーの色に変わって落ちてくるのを待つのです。
この待っている時間が何とも言えないのですね。
受け側のカップの底にはコンデンスミルクが入れられていて、落ちてきたコーヒーと混ぜ合わせて飲むのです。
コンデンスミルクを全部混ぜてしまうと、甘いコーヒーができ、少ししか混ぜないとそれほど甘くないコーヒーができるということで、通になると調整していると聞きました。

北部に行くと、店によってはこの金属製のがなくて、いきなりカップにコーヒーが満たされてくるところもあります。
もちろん底にはコンデンスミルクが沈んでいますが。

そんなわけで、美味しい料理と、コーヒーの国、ベトナムの旅の記録を続けていきます。
やはり食は大切ですね。

日本の中古車のバスに揺られて、8時間くらいでしょうか。
ようやくニャチャンに到着です。

ニャチャンに到着前に、いたずらとして”お降りの方はこのボタンを押してください”との日本語表示が残るボタンを押してみました。
すると、ブィーーという弱い音が鳴り響きました。
しかも止まらないで30秒くらい。
不気味なブザー音に他の外国人は、一様に何だ?と言う顔をしておりました。
ああ恥ずかしい・・・。乗り合わせた方、ごめんなさい。
私が子供でした。

さて、ニャチャンは海辺のリゾート地と聞いていましたから、なんとなくウキウキです。
ベトナムのリゾートはどんな所なのだろう??
ホーチミンと同じく物売り攻勢に遭ってしまうのだろうか?
などなど、想像は膨らむばかりです。

着いたのは夕方だったので、早々に投宿し、この移動の疲れを癒すことにしました。
1998年4月のことですので、もう宿の名前も覚えていませんが、確かシンカフェのバスが到着した宿ではなく、少し歩いて宿を取った気がします。

今改めて、ベトナムの地球の歩き方のニャチャンの項を見てみると、ニャチャンは意外と大きな町だったんですね。
当時は宿と、その周辺しか歩いた記憶がないのです。
次回はニャチャンの町について少し書きます。


ニャチャン到着の翌日、早速海へ散歩に出掛けました。

宿から海は歩いて5分くらいだったように記憶しています。
海辺はきれいに整備されていましたが、海の色はさほど綺麗には思いませんでした。
少しの間海辺でぼーっとして、旅の疲れを癒しました。

ホーチミンから到着して、まず驚いたことは、人が近寄ってこないことです。
シクロも多くいましたが、いずれも追尾を受けることもなく、うるさく近寄ってくることもありませんでした。
これには少々驚きました。
まれにうるさいのも居ましたが、ホーチミンのシクロに比べたら、断然ましな部類です。
もし、近寄ってこられても、断れば何の問題もなく去っていきました。

ニャチャン滞在中は、ほとんど海辺で過ごしていたので、鉄道駅のある方にはまったく行かなかったので、そちらの様子はわかりませんでした。
ただ、ホーチミンでの疲れを癒すためだけに、ボーっとする時間を設けて過ごしていました。

一度だけ、ボッタクリのレストランに入ってしまい、黒板の値段を書き換えられて、トラブルになりました。以前のボッタクリレストランの記事で書いたようなレストランが、ここニャチャンにもありました。

その他は特に目立ったトラブルはなく、拍子抜けしていました。
ここで、さらにベトナム旅行を続けるパワーみたいなものが、現われてきて、次の目的地であるホイアンに向かうことにしました。

またバスでの移動となりました。
今度も日本製の中古車になるのか・・・と思いながら、シンカフェで予約したのでした。
ニャチャンからホイアンへのバスは、ホーチミンからニャチャンへのバスと違って、まともなバスの車体でありました。
しっかりエアコンも効いていて快適。

ホイアンまでは、かなりの時間を要した記憶があります。
おそらく12時間はかかったのではないでしょうか。
本当に快適なバスでよかったです。
苦行のバスならば、ホイアン到着後に寝込んでいたでしょう・・・
どうもシンカフェのバスは当たりはずれの差が大きいような気がしました。

道中のことはよく覚えていません。
ただ、国道1号線を北上していく上で、途中に綺麗な海辺のビーチがありました。
これは、今のガイドブックで調べてみると、カーナービーチというのが、ホーチミンとニャチャンの間にあって、このカーナービーチのような気もするのですが、いまいち思い出せないのです。

どちらにしても、ホーチミン~ニャチャンの間か、ニャチャン~ホイアンの間のどちらかに、居心地の良さそうなビーチがあったことは、間違いがないのですが・・・。
1998年の出来事であって、記憶が性格に蘇らないので、曖昧な記憶でご勘弁いただきたく思います。正確な情報を出せずに申し訳ありません。

ベトナムのバスは、快適でないという話はよく聞くところであります。
それに比べたらシンカフェのツアーバスは、とてもありがたい存在なんだなあと思ったものです。
現在もこういったツアーバスは運行されているらしいのですが、路線網が複雑化しており、利用時にはよく確認することが必要だと、地球の歩き方には記載がありました。
利用の際には、細かい点まで妥協せずに確認したほうが、後々トラブルにならなくてよさそうですね。

次はホイアンについて書きます。
ホイアンは、私が訪れたベトナムの町のなかでは一番落ち着く町でした。

このホイアンは小さくて、観光するには廻りやすい町でした。
本当にこの町はシクロもまったくうるさくなく、普通に町歩きを楽しめましたね。
他の町では、いろいろとうるさく付きまとわれて、辟易していましたから・・・

1999年にこのホイアンの町も、世界遺産に登録されました。
私が訪れたのは、1998年でしたので、その翌年ですね。

町には来遠橋、またの名を日本橋という屋根つきの橋が、小さな川に架けられていました。
この橋は、1593年に日本人によって架けられたということになっています。
この橋をじっと眺めていると、当時の日本人も苦労して、ここまでやってきて、この橋を架けたのだろうなあと、また感慨にふけることもできました。
ホーチミンと違って、誰にも邪魔されずに歴史を思いながら、感慨にふけるってなんだか、心地よいものです。
この橋の近くに、日本人町もあったようです。
当時も日本人は、東南アジアの各地に進出していたのですね。

アユタヤの日本人町についての記事も、ずいぶん前ですが書いたことがあります。参考までにどうぞ。

ホイアンの町は、中国風の建築も多くて、中国の影響を強く受けていたことがはっきりとわかります。
地理的に考えても、ベトナムの北側はすぐに中国なのですから、影響を受けて当然ですよね。
どことなく、ベトナムっぽくない感じの町。
強いて言えば、マレーシアのマラッカにあるような町並みですね。

ベトナム縦断旅行の際は、もしかしたら、ホイアンはよい休憩地になるのかもしれません。
ちょうどホーチミン(サイゴン)とハノイの中間地点くらいですしね。