インド紀行1995

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ただのタイが好き、そして旅が好きなTripuncle代表の旅行ブログです。

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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

トリップアンクル縮小版


今まで、いろいろな国の記事を書いてみました。
ついにインドを書くことになりました。

これまた、私がずいぶん前に行ったインドのことですので、話半分以下で読み飛ばしていただければと思います。
1995年と本当に前の話で恐縮なのですが、思い出風に書き綴っていけたらと思います。

インドに行こうとふと思い立ったのは、何故か??
単に友人からインドに行った話を聞いて、面白そうだなあ。と思ったことくらいでしょうか。

ヨーロッパとかはいつでも行けそうな気がしていたので、ここは思い切ってまったく考えられない国に行こうと、無謀な計画を立て始めたのがそもそもの始まりでした。
海外旅行も初めてとあって、まったくの無知状態。
まったく甘く考えていて、ホテルの予約もせず、飛行機のチケットだけ(すなわちエアオン)で飛び出していくことになったのでした。

インドに、おそらくは呼ばれたのでしょう。
よく呼ばれるという言い方をします。
タイミングとでもいうのか、その時の成り行きで、行ける国、行けない国が現れるのです。
ここで、諦めきれないと無理やりでもその国へ行こうとするのですが、私の場合は、
「ああ、呼ばれてないわけね」とあっさり諦めるのでした。
しかし、何らかの成り行きで、何年かしたら行けることになるのかもしれません。
特にインドあたりは、そんな傾向が強い気もしています。

私は次はいつインドによばれるのかなあ・・・・
さて、次回からはインドについて書いていきます。のんびりと・・・



初めての海外旅行で、何故インドを選んだのか?
何故なのでしょうね。
おそらくインドというか、海外旅行を甘く見ていたのでしょう。

海外旅行も、国内旅行の延長線上にあるとか、勝手な想像をしていましたから。
それは場合によってはそういう国もあるかもしれません。
ただ、インドにはそういう考えは通用しないことを、自分の体で思い知ることになるとは、この時点では想像もできませんでした。

とりあえず、チケットを買っておけば、現地に着いてからホテルを探して、何とかなるだろうという甘い見通しを勝手に描いていたのでした。

ガイドブックを読み、インド関連の本も読み、チケットも購入完了。
一応の準備は整った段階で、旅行当日を迎え、意気揚々と自宅を出発。
ところが、京成スカイライナーが成田空港へ到着する頃になると、一気に不安が倍増してきました。
今までの楽観はどこへ行ったのやら・・・

よく遅れることで有名な、エアインディアのデリー直行便は、本日は遅れなしというラッキーな情報です。
しかし不安は募るばかり・・・
だってまだ出国審査すら受けたことがないんですから・・・・
どうにかチェックインを済まし、出国審査へ。
真新しいパスポートに出国の文字が押されると、さらに不安な気持ちになりました。

初めての海外への出国は皆さんこんな感じに感傷的になるのでしょうか。
これは自国への哀愁ということなのでしょうか。
いろいろなことを考えさせられる一瞬でした。
(つづく)
初めての手続きだらけで、よくわからないまま搭乗ゲートへ。
乗り込んでみると、エアインディア便はそこそこ混んでいました。

現在となっては皆無に等しい喫煙席をリクエストしたので、座席は一番後ろの方でした。
この飛行機はコンビ型といって、貨物のスペースが後ろ半分を占めているので、ジャンボ機としては客室内が短く感じられましたね。
エアインディアも今は全席禁煙になったはずです。

成田空港を離陸したエアインディア機は、どんどん高度を稼いでいきます。
はるか眼下には、地図そっくりな光景が見えました。
房総半島、横浜にあるベイブリッジ、三浦半島、湘南の海岸、伊豆半島。

そんな光景を見ながら、今であれば楽しいのでdすが、
当時は不安が増加していき、もう日本に帰れないかもしれない、これが日本の光景の見納めかもしれない・・・
などと、シリアスな気持ちになって、飛行機の窓に額をおっつけながら、見入っていました。

やがて雲の中に入り、下界は見えなくなりました。
やがて日本の領空を離れていくことでしょう。

ここからインドまでの、長いフライトが始まったのでした。
長いといっても、8時間から9時間くらいのものでしょうけれど。
この間は、インドのカレーの機内食が出ました。
狭いエコノミークラスのシートで、ガイドブックを見たりして、何とか気持ちを落ち着けて、これから始まる長い旅に備えようと思い始めたのでした。
エアインディアのエコノミークラスは、まだ広いほうだということも、後から知ることになるのですが・・・

不安な気持ちは変わりませんが、私一人が騒いでも、飛行機は成田に引き返すわけでもないので・・・もう開き直ったという心境でしたね。
初めての海外に心踊らされ・・・・ああ、懐かしいものです。
日本の領空を去り、もう何時間か経った頃、
もう一度機内食が出ました。
これは軽いスナックのようなものと、コーヒー。
窓の外は雲に覆われていて何も見えないままです。

まもなく着陸のために、降下を開始するという案内放送が流れました。
外は夕焼けになり、急速に辺りは暗くなり始めました。
この薄暗くなる間も、私の不安は増長されていきました。

エアインディア機の窓に顔を押し付けていると、雲の切れ間からインドの夜景が見えてきました。
オレンジ色をした光が、町のあちこちを照らしているようです。
このオレンジ色の街明かりは、大変薄暗く見えて、ああこれがインドの光なんだなあ・・・と、これからのインド旅行の不安が頭をよぎりました。
と同時に、まあここで暮らしている人々もたくさん居るわけだから・・・と何となく大丈夫なんじゃないか?という気持ちも芽生えてきました。
今にして思えば、アジアの街はどこも日本の街ほど街灯が多くないのですが、1995年の私にはそんなことを知る由もなかったのでした。

それにしても、飛行機の下に見えているインドの光景、それも初めて見るインドの薄暗い光景です。
いったいどこの町なのでしょうか。おそらくデリー周辺の街には違いないでしょうけれど。
日本では白い街灯が多いものですから、見慣れないオレンジの光は余計に不安を煽ったのかもしれませんし、余計に暗く感じたのかもしれません。

ドキドキと不安の入り混じった、何とも言えないこの気持ち。
これは冒険心に似たものなんでしょうか。

そんな私の不安のボルテージは上がる一方なのに、エアインディア機のボーイング747は、そんなことは関係なく順調に高度を降ろして、デリーの国際空港へ向けて、いよいよ最終の着陸態勢に入っていったのでありました。


薄暗くなったデリーの空港にエアインディアのボーイング747は、無事にタッチダウンです。
暗い空港の中をターミナルへタキシングしていきます。

もう不安は絶頂に達していました。
たまりかねて、隣の席に座っていたビジネスマンと思しき日本人の方に、
「市内まではどうされるんですか?」と聞いてみました。
すると、「迎えの車が来てるからね。問題ないんだ」と言われてしまいました。
また不安が増長・・・

というのも、デリーから市内への移動はタクシーしか手段はなく、結構リスクが高いと聞いていました。
要するに、このタクシーと旅行者の間で、まっすぐ目的地には行かない、無理やり自分に有利なホテルに行こうとする、強盗と化すなどなど・・いろいろなトラブルが絶えないということです。
空港のプリペイドタクシーですらという噂・・・

なので、なるべくデリーの空港で、一人旅と思しき日本人と組んで、複数人で市内へ向かった方がよいと、友人が言っていたからです。
友人は単独で、市内へタクシーで向かい、お金こそ取られなかったものの、偉い目にあったそうです。
デリーの空港から市内へのタクシーは、今でもリスクは高いのでしょうか?
これは10年以上前の話ですので、今から行かれる人は、しっかり情報収集してくださいね。

飛行機はターミナルビルに付けられて、いよいよデリーいや、インドへの第一歩です。
結局誰とも組めないまま、一人で市内へ向かう覚悟も決めながら、ターミナルへ入っていきました。
またこのターミナルが、薄暗いこと・・・・
これまた今は新ターミナルになっているはずなんですがねえ。
そんな薄暗いターミナルを歩いていると、一人旅と思われる日本人を発見ました。
声を掛けてみると、一人旅で今日の宿も当然決まっていないとのこと。
「いやあ、僕もインドは始めてだから、一緒に行こう!」ということで、快く市内までの同行を承諾してくれました。
この時は本当に助かった・・・と思ったものです。

それから入国審査を抜けていよいよ悪名高い、デリー空港の両替に向かいました。

飛行機を降りて、どうにかデリー市内までの同行者が見つかったので一安心ですが、
次なる難関はデリー空港の悪名高き両替の銀行です。
噂では、金額をごまかす、偽札をつかませるなどということが頻繁に起こるので、必ず確認が必要。
心して掛からないと、必ずやられるとのことでした。

薄暗いターミナルの中で、入国審査を済ませます。
ここもまた、海外旅行初めての者にとっては緊張の瞬間。
しかし何事もなく通過に成功です。無事にインド入国完了。

荷物のターンテーブルを抜けて、両替の方に行こうとすると、もう一人仲間ができました。
なんと、インドビザ取得の際にインド大使館で私の前に並んでいた男性が、偶然目の前に現れたのですから、こりゃお互いにびっくりです。
「大使館で会いましたねえ」ということになり、行動を共にすることにしたのでした。
彼もまた、海外旅行は初めてということであり、境遇は私と一緒です。
初めてなのに何故インド?とお互いに笑いあったのを覚えています。

いよいよ両替の時が来ました。
怪しげなインド人がカウンターに座り、妙に怪しく見えます。
そこに旅行者がずらっと並び、長蛇の列が伸びていました。
みんな一人ずつとても時間が掛かっているのは、、両替後にお札を一枚ずつ数えきり、それが正確であることを確認するまでは、その場から離れない、列から離れないからなのでした。
列から離れたら最後、どんなに金額が間違っていようと、もう変更は効かないどころが、聞き入れてもらえません。
これが長蛇の列の原因なのでありました。

自分の番が来て、ここはUSドルの現金で両替しました。
トラベラーズチェックは、危険な感じがしたので使わずです。
きっちりお金の数を数えて、それに破れたルピー札も使えないので、怪しき札は変更してもらい、偽札ないか確認して、ようやく列から離れました。

インドでは破れたお札は、トランプのババ抜きみたいなものなのです。
これは市中の買い物でも、ババを引かないように気をつけねばならないのでした。
破れたり、セロハンテープで留められているようなお札は、NGなのです。
これは現在でも変わってないのでしょうか。
インドへ行かれる方は要注意です。



さて、インドはデリーに到着して、
入国審査と悪名高き両替をこなし、
デリー市内へ一緒に行く仲間もできて、万事が順調のように思えたのですが、
インドは初めての旅行者に、次々と魔の手を差し出してくるのでした。

税関を抜けて到着ロビーに出てみると、
ドッとインド人が押し寄せてきました。
タクシーと今晩のホテルの紹介者たちです。
しかし、我々はまったく相手にせず、一目散にツーリストインフォメーションを目指しました。

同行のMさんは、南米なども旅行しており、旅には慣れているので、この3人組のリーダーに。
リーダーの指示で、もう一人の海外初めてのFさんと私は、どんなにインド人が寄ってこようと、完全に無視です。

ツーリストインフォメーションにて、
リーダーのMさんが、もう暗くなっているので、市内を歩き回ってホテルを探すのは土地勘もないし危険かもしれないから、ここでホテルを紹介してもらった方がいいのではないかと提案。
「その通り、そうしましょう」と我々初心者二人組は、不安な表情を見せつつも同意しました。

今思えばかわいいもんですが、当時はもう凝り固まった真剣な表情をしていたんでしょうね。
初めての海外の、しかもインドの洗礼を受けつつあって、楽しむ余裕などまるでなし・・・
きっとMさんは、見ていて笑えたに違いない・・・

ここは政府系の、しかも空港内のツーリストインフォメーションなので問題はないだろうと考えていました。
1泊目はリスキーなので、少し高めのホテルをということで、US30ドルのホテルを予約することに。
Mさん曰く、「30ドルなら大丈夫だと思うよ。ここインドだからね、たぶん」
我々初心者組もそれに同意し、ここでタクシー手配もしてもらうことになりました。
このツーリストインフォメーションは、感じも良かったので、ついつい信じてしまったのが災いの元だったのでしょうか。

この先もトラブル続きになるとは・・・誰が予想したでしょう・・
デリー空港のツーリストインフォメーションで、無事?ホテルの予約は完了。
デリー市内に近いホテルに決まりました。
写真を見た感じはとてもいいので、とりあえず即決。
夜も遅くなりそうなので、この良いホテルに1泊だけして、明日から安宿を探せばよいという結論に達していました。
クーポンなどはなく、現地で直接の支払いとのこと。

ついでにタクシーもということになり、
同じツーリストインフォメーションのカウンターで、タクシーも依頼しました。

しばらくすると、ドライバーと名乗る男が現れて、車へ案内されました。
空港を一歩出ると、そこはえらく薄暗く、いろいろな人や犬が居ました。
とても首都の空港と言うには遠い光景であり、なんとも不気味な感じがしたものです。
「これはやばい国に来たかも」という不安はますます増長されるに至り、
顔は引きつっていたに違いないでしょう。

空港の薄暗い駐車場に案内されると、1台の車が停めてありました。
これがタクシーだと言うのです。
他にもタクシーが停まっている様子はなく、明らかに変な様子でした。
しかしこの車、どう見てもタクシーの表示はありません。(行灯なし)
これは白タクであることは明らかです。因みに車種はアンバサダー。インドの国産車です。
タクシー料金は確かすでに払っていたので、案内されるがまま、この車に乗り込む以外にないような成り行き。

男3人は果たしてどうしたか・・・
「これ白タクだよね。やばいかな・・」という会話はあったものの、
運を天に任せて乗るしかないようでした。

何となく騙された感を持ちつつも、しぶしぶその白タクに乗ってしまいました。
当時はそうしたけれど、今ならどうするか?
たぶん、文句を言いにカウンターまで戻り、ちゃんとしたプリペイドタクシーを使うかもしれません。
まあプリペイドタクシーが100%安全なんて保証は、どこにもないのですが・・・。

さて、まんまと白タクに乗せられてしまった、我々の3人の一行はどうなったでしょう。
ボロロと、今にも壊れそうなエンジン音を響かせながら、その白タクは空港を出発。
周囲はもうすでに真っ暗です。
18時半にデリーに着陸したのに、入国審査や両替で何やかんや時間が過ぎてしまい、
もうすでに20時半くらいだった気がします。

空港からは、明るく大きな高速道路のような通りをひたすら走り続け、
標識を確認するも、どうやらちゃんとデリー市内に向かっているようではあります。

しかし、我々はその予約したホテルの場所もよくわからないので、
この点においてはタクシーのドライバーの方が有利と言えましょう。
特に問題なく、ドライブが続き、もう少しでデリー市内に入るかどうかというあたりで、
この白タクは無情にも、右折を開始して、わき道へ逸れていきます。

「ええっ、どこに行くんだ?」と青くなって固まる3人。
ただでさえ薄暗いインドの街なのに、さらに薄暗いエリアに入っていく白タク。
「やばいなあ、本道から逸れたぞー」と不安な3人の表情など気にするでもなく、
タクシーの運転手は車を進め、あるホテルの前で停車しました。
もうここは、デリーのどこなのか、地図を見ても思い出せません・・・

ホテル名は忘れてしまいましたが、
外観は一応ホテルの体裁を保っているようにも見えました。
この怪しげなホテルで、インドの洗礼を受けることになろうとは・・・・
笑顔で迎えられ、3人は各階のバラバラな部屋へ案内されました。これもホテル側の作戦の一つだったのです。
この後、執拗な攻撃が待っていたわけです・・・

しかし、今考えたら面白いです。
続きはまた。

1995年2月19日 インド初上陸


空港のインフォメーションカウンターで紹介してもらった、このホテル。
実はとんでもないホテルだったのです。

空港から市内へ走ること50分くらいだったでしょうか。
至り着いたホテルは、外観自体はちょっと古びた感じの、まあまあ普通のホテルでした。
タクシーが目の前に着けられて、到着です。
中に入ると、すぐに部屋に案内されました。

このホテルは4階建てくらいだったのですが、シングル3つにしたものですから、
各階に振り分けられてしまいました。
ここがホテル側の作戦の始まりだったのです。
とりあえず荷物を置いて食事に行ったのですが、不安です。

インドに辿り着き、とりあえず今晩の宿も決まったので一安心して、
初めてインドの屋台のようなところで食事です。
ビールは置いてないのですが、タンドリーチキンなどを適当な近所の屋台で食べました。
この時はインドの物価がわからなかったのですが、すでに食事の段階から、ボッタクられていた感じもします。
明日の予定を話し合って、もうなるべく朝早く出発しようということになりました。
とにかくホテル自体に怪しい雰囲気が漂っているものですから。
一刻も早くメインバザールへ行きたかったので・・・

この屋台は時間のせいか、あんまり人がいませんでした。
ここはデリーのどのあたりに位置しているのかということや、治安状況もわからないので、
ゆったりと初のインドを味わうことはできませんでした。
初めての海外旅行、どちらかといえば不安の方が大きかったですね。

1995年2月19日 

さて、デリーに着いて初めての夜は、とんでもない夜だったのです。
ホテルの部屋は、普通の感じでまあ汚くもないのですが、
困ったことにホテルの従業員が勝手に部屋に入ってくるのです。

どういうことかというと、
トントンとノックをした後、こちらの返事を待たずに、いきなりドアを開けて入ってくるのです。
「ハロー、ジャパニ!」

今なら、「何で入ってきてんの?!」
とキレまくって追い返すところですが、まだウブな海外旅行に初めて来た私は、
遠慮がちにおびえながら、追い返すのが精一杯でした。
そんな私をカモと見た従業員は、次々にジュース、チャイ、石鹸、シャンプー、歯ブラシ、タオルなどの備品を、
ノックもせずにマスターキーで部屋に入り込んできては、売りつけようとするのでした。
売りつけるというよりは、サービスだから、お金は要らない、だから使えと言って使用させ、後からお金を請求するパターンです。極めて悪質な商法です。

何とか断りましたが、石鹸だけは半ば強引に置いていかれました。
この石鹸は2ドルという法外な値段をチェックアウト時に請求されることになるのですが・・

一晩中勝手に部屋に出入りされ、寝る時間がないと判断した私は、
部屋の備品である、デスクや椅子を、ドアの前に挟み込んで、ドアが開かないようにしました。
一晩中、従業員がドアを開けようして、苦労している様子でしたが・・・(笑)
そんな中で眠れない夜を過ごしました。

ああ、何で私はこんな所に来てしまったのだろう・・・?
と後悔しながら、早くも海外が嫌いになりそうでした。
しかし、こんな夜は、この後に続くインドをはじめ、他の国でもなかったですね。
この一晩だけが、今までの旅の中で、特殊な晩でした。

初の海外旅行、それもインドでの洗礼・・・
今から思い返すと何とも面白いです。


1995年2月20日

眠れない晩を過ごして、ようやく朝になりました。
落ち着いてシャワーを浴びることもできず、げっそりです。
昨晩に朝の8時に市内へ向かうタクシーを手配しておきました。
デリー市内のはずなのに、デリーのコンノートプレイスまで、5ドルと言うのです。
何故か彼らは料金をインドルピーで請求してこないのです。

このホテルがボッタクリホテルであることは、
海外ベテランのMさんがわかっていたので、
とりあえず、ここは場所もよくわからないので、一旦彼らの言うタクシーとやらで、コンノートまで連れて行ってもらい、後は自分たちで納得のいく宿を探そうということになりました。

果たして、朝の8時に1階のロビーに降りてみると、
我々3人の他に、もう2名の日本人が居ました。
顔を合わすなり、「日本人ですよね?」と声を掛けてきました。
彼らも空港のインフォメーションでこのホテルを紹介してもらい、
別の日本人3名がすでに向かっているとの情報を得て、安心して乗り込んできたところ、
昨晩はひどい目にあったようで、やはり眠れなかったとのことでした。
マスターキーで勝手に部屋に侵入されまくりだったそうです・・・
「何ですか?このホテルは!!」と怒っておりました。
とまあ、ここに居合わせた全員の日本人が、まんまとインドの洗礼を受けたわけですね。
これだけの被害で済んだのは幸いと思わなければならないのですが・・かわいいもんですよ。

これで総勢5名になり、5名でコンノートプレイスへ向かうことになりました。
これだけ人数が居れば、怖いものはないだろう・・・
というよくわからない考えで、半ばやけ気味の行動です。

またしても、白タクでした。
でも5人居るので関係ありません。
とにかく「コンノートまで!」と運転手に念を押しての出発になりました。

チェックアウト時、昨晩の押し売り石鹸と、押し売りチャイ代は、1泊の料金とは別に当然、ちゃっかり請求されました。
多少もめましたが、もう面倒なので払ってしまいました。
とはいっても3ドルくらいですが・・・
後に市中の物価を知ったら、とんでもない料金であったことがわかるのですが・・・

1995年2月20日

さて、問題のぼったくりホテルから、日本人の総勢5名が出発することになりました。
それも白タクで・・・

5名居れば怖くない、多勢に無勢ということで5人を乗せたタクシーはコンノートへ向かいました。
当然まっすぐに目的地に行かないのがインド流。
途中で何やらわき道に入って行き、怪しげな旅行代理店の前で停車しました。
頼んでもいないのにですよ・・・。
運転手の説明によると、ここで次の目的地へのチケットを買えというのです。
まだ予定も何も決まっていないので、断りましたが、押し切られ、
店のインド人も出てきて、5人は悲惨にも店の中に入れられてしまいました。
まったく大きなお世話とはこのことですね。

何とか断りましたが、
今晩の宿に着いても聞いてきます。
「もう勝手に探すからいい」と言うと、
「今晩はどこのホテルもFULLだから、我々が予約してやる」とか言ってきます。
あまりにも手口が、地球の歩き方に書いてある騙しの手口と一緒なので、笑えてきました。

何とか断り、またタクシーに乗り込み、本当の目的地であるコンノートへ向かいました。
やっとこさ、辿り着いたコンノートプレイス。
とりあえずコンノートまで着けたのだから、もうこの白タクとはおさらばです。
ぼったくりタクシーに10ドル払って、帰ってもらいました。
あまりにも高い10ドル・・・しかし、我々5名はなんとか、この白タクから逃れたい一心でしたので、
払ってしまったのでした・・・

近くのチャイ屋台で、5人で初チャイで乾杯。
次は安宿の多い、メインバザールへ向かうべく、リキシャを捕まえました。
5人乗車もOKで、しかもメインバザールまで確か20ルピーくらいと、格安でしたので、
このリキシャで行くことになりました。

まだまだ宿探しには時間がかかりそうな気配になってきました。
続きはまた。こんな前の話をよく覚えてるもんですね・・・
(続く)
1995年2月20日

コンノートから、オートリクシャに5人乗車して、メインバザールへ。
このオートリクシャは、タイで言うトゥクトゥクみたいなものです。
要は3輪車であり、後部座席に何名か乗れるようになっている乗り物です。

このオートリクシャですが、最近は環境のためか、CNGを使用したエンジンを搭載しているものもあり、
この場合だと車体の色が緑色になるのだとか・・・
当時は、黄色と黒の車体でしたね。今もあるのでしょうか。。

5人が乗車したこのオートリクシャは、まっすぐにメインバザールへ向かうと思いきや、
そうはいかないのが、インドの恐ろしいところ・・・。
また変な裏道に入っていき、先ほどのタクシーが連れて行ったのと同じ旅行代理店の前で、リクシャを停車させました。

「さっきも来たよ~ここ!」
と5人が騒ぎ出し、いいからメインバザールへ行ってよ。
という殺気立った空気を理解したのか、再びエンジンを始動させて、走り始めました。
また同じ旅行代理店に入ったら、今度は逃がしてくれなかったでしょうね。
いいカモが来たとばかり・・・

しばらく走っていくと、
それにしても、ものすごい物乞いの数です。
信号待ちでは必ずといっていいほど、「バクシーシ」と言って手を差し出してくるのです。
これには正直カルチャーショックを受けましたね。

やっとこさ、今度は無事にメインバザールの入口に辿り着いたようです。
右側には駅が見えるので、たぶんそれがニューデリー駅。
そして左側には細いメインバザールの入口が見えています。
今度こそ、自分たちの力で宿を見つけることができそうだという気構えが5人の間に見えてきました。
リクシャの運転手には、20ルピーを払いました。特にこの時は問題なかったと思います。

この5人組の中で唯一、海外旅行経験者のMさんが、
「みんな、もう少しで楽ができるよ。頑張ろう!」
と励まし、我々はメインバザールの雑踏の中へ、一歩足を踏み入れることになったのでした。
ものすごい数の人の中に突入していく感じです。
正に声明のエネルギーの堝の中に・・・



1995年2月20日

やっと怪しげなホテルのグループの連中から逃れられたので、
まずは一安心といったところでしょうか。
とは言っても、この5人組は海外旅行経験者はMさん一人。
残りは全員海外が初めて、しかもインドに来てしまった・・・

Mさんが先頭になってメインバザールへ突入していくことになったのでした。
ここの雑踏はものすごい。
何と表現したらいいのか、言葉に苦しむが、
幅員5mの舗装もままならない道路。例えて言うなら、東京・上野のアメ屋横丁のような道と言えばおわかりいただけるでしょうか。
その狭い道には、人はもちろん、トラック、タクシー、オートリクシャー、リヤカー、自転車、犬、牛などなど、様々な物が極めて無秩序に行き交っている。クラクションの音も常に鳴りっぱなし・・・。

人が歩いてるっていうのに強引に突っ込んで来ては、停車するトラックやタクシー。それに対してヒンディー語で何やら喚いているインド人たち・・。知らない言葉で喚かれると、何だか怖い気もする。
いったいここはどこなんだろうか?・・・
あまりの秩序の無さというか、インド人の勢いに、かなりビビって一瞬動けなくなるが、
我々の一行5人は、Mさんを先頭に、その雑踏の中を進んでいったのでした。

両側にはホテルらしき看板もちらほら。
しかし、とても入れる雰囲気ではない・・・・
一行の誰かが、ANOOPというホテルがましだと聞いているとの情報をもたらし、
このメインバザールのかなり奥に位置するANOOPというホテルまで歩いていくことになったのでした。

途中でトイレ休憩。
と言っても、道端の壁に便器が3つ並んでいるだけのトイレ。
ここで順番に用を足す。用を足している間は、他の者が背後を固めるというチームワークを我々は見せ付けたのでした。
このトイレは一人では怖くて、用を足せませんよ。本当に・・・
インドに行く人、特に女性はトイレに気を使った方がよいかもしれません。

そして、我々5人はANOOP HOTELにまた一歩、また一歩と近づいていったのでした。
1995年2月20日

狭い舗装もろくにしていない、砂埃舞う道であるメインバザールを
インド人の雑踏に負けず、ずんずん進んでいきました。
行き交う様々な人、車、リキシャ、リヤカー、タクシー、もうめちゃくちゃです。
ふと道端に目をやると、道の両側には怪しげないろんな店が並んでいます。

バックパックを背負った我々にインド人達は
「ハロー!ジャパニ!」と盛んに声を掛けてきます。
時たま、前方から旅慣れて、インドに馴染んでいるかのような格好をした日本人が来ては、
「こんにちは」と声を掛けてくれるのでした。
こちらも「こんにちは」と返事を返します。

海外旅行初めての身にとってはこういうことは、何となく安心感があるものなんですね。
同郷の何とかとか言うのでしょうかね。

そうして、進んで行き、ようやくANOOP HOTELに到着するに至ったわけです。
ここで部屋の空きを確認すると、5人部屋なら空いているというのです。
部屋を見せてもらうと、5人分のベッドが並ぶ言わば、ドミトリーのような部屋でした。
しかし、シャワーもトイレも付いていることだし、綺麗だし、まあいいかということで決めました。
というか、みんな昨晩からインド人に小突き回されて、かなり疲労困憊していたので、
もうどうでもよかった。早く自分たちのペースで旅をしたいという思いがきっと強かったのでしょう。

早速、このホテルの屋上のレストランで食事になりました。
もうお昼近い時間。
朝からほとんど何も食べてない状態でしたから、お腹も空いていました。
このレストランの価格表をみて、昨晩の屋台は明らかにボッタクリということがわかりました。
インドは本当は安いのです。

そして、ここで適正価格もわかったことだし、
これから始まるインドの旅についても、少しずつ行けそうな気がしていました。
このインド初めての日本人5人も、やっと洗礼を受けた後の安堵感に包まれたのでした。
やっぱり、ゆっくり食事をするということは大切なんですね。
旅と食の関連性の大切さとでも言いましょうか。

1995年2月

ANOOP HOTELに落ち着いた、我々日本人の5人組は、この後それぞれがバラバラの方向へ散っていくことになります。
これがまた旅の面白さなんですね。
もしかしたらまたどこか他の、まったく違う国で会うかもしれませんし、
または日本で会うことになるのかもしれません。

この後、少しデリーを観光しました。
といっても、ラールキラーという、昔のお城を眺めに行ったくらいですが・・・。
少し大型のリキシャと交渉して、連れて行ってもらいました。
交渉中にいくらなんでも安すぎると思ったのですが、やはり途中から違うことを言い出して・・・。
提示料金は片道だというのです。交渉時には往復で交渉しているのに、途中から話を変えてくるのでした。
しかし、このターバンを巻いたインド人のおっちゃんは、まじめそうな人だったので、交渉中に少し可哀相にもなってきました。
ただここで甘い顔をすると、ろくなことにならないかもしれない。
なんて思いもあったりして、複雑な心境になりますよね。

出会うインド人にしても、いい人も居るし、悪い人もいるわけですからね。
悪い人に当たるときは、とことん当たりますから・・・
それを見極める力とでも言うのでしょうかね。
すべて信じずに疑ってばかりいても面白くない、しかし信じたら最後騙されるかもしれない。
この狭間で、旅行者はいつも旅をしてるんじゃないでしょうか。
これがまた旅の面白いところでもあるんですね。

ただ当時はここまではわかりませんでした。
もしかしたら、このデリーの大型リキシャのドライバーには、悪いことをしてしまったのかもしれません。

それにしても、デリーの街はすごい数の車とリキシャと人でした。
まさに喧騒ですね。クラクションの音もかなりうるさいです。だって鳴らしっぱなしなんですから・・
誰かが、スイッチを押したらクラクションが鳴り止むように改造したほうがいいのでは?と言っていたのを思い出します。
現在のデリーもこんな喧騒状態なのでしょうか。

リキシャやタクシーの信号待ちでは、バクシをおねだりに来る、子供を抱いたお母さん。
細い手で「バクシーシ」と言ってすこしばかりのお金を、もらいに来るのです。
はっきり言って怖かったですよ。最初は・・・
ただこれにも慣れてきましたけどね。

1995年2月

こうして、インドも海外旅行も初めての人が多かった5人組日本人グループも、
みんなそれぞれ、自分の思い思いのルートに散っていくことになったのでした。
日本か、もしくはインドでの再開を約束しつつ・・。

私はまず西インドのボンベイに行き、そこから南インドののコバラムビーチ目指して南下していこうと考えていたので、まずはボンベイへ行く、夜行特急の手配をしなければなりませんでした。
ニューデリー駅にある、外国人専用窓口へ赴き、チケットを購入です。
寝台は敬遠して、普通のリクライニングする座席のAC車両、AC CHAIR CARを予約しました。
ラジダーニは特別な特急なのか、食事も出るとのことでした。

ここでさらに一つ難関が待っていました。
ボンベイへのラジダーニエクスプレスは、ニューデリー駅でなく、ニザムウッディン駅からの発車だと窓口氏は言うではないですか。
また一つ不安が・・・
どうしても駅名に確証が持てないので、紙に駅名を書いてもらったのでした。
地図で確認してみると、確かにニサムウッディン駅はありました。
チケットを確認してみたら、やはりここからの出発となっています。
何が起きるかわからないインド・・・不安を抱えたまま、ボンベイへの出発の日を待つことになったのでした。

メインバザールのANOOPの5人部屋は寂しくなり、もうTさんと私の2名しか居ません。
明日Tさんはバラナシヘ出発。私は明後日の夕方ボンベイへ向けて出発です。
明日はメインバザールから、別の場所、できたら駅に近い方に宿を変えようと思いました。
いよいよ、インドでそれぞれの一人旅が始まろうとしていたのでした。

この先どんなことになるか、全く見当もつかないまま、ドキドキしていたのでした。
まったく懐かしいもんです。
初めての海外旅行って、本当にこんなもんなんでしょうかねえ。緊張しすぎですよね。
もっとリラックスしなといけないのですが、当時はそれどころじゃなかったのです。
まったくお恥ずかしい限り・・・

結局メインバザールのANOOPは、最終の夜は私一人になってしまうので、
ホテルを移ることにしました。
一緒のTさんは,今晩バラナシヘ移動してしまいます。

一人でメインバザール宿泊は今考えたら、全然問題ないのですが、
当時はやはりビビッていたんでしょうね。まったく・・・
ニサムウッディン駅が、コンノートプレイスよりもまだ南にあることが判明していたので、
できたらコンノート周辺に泊まろうとか考えていました。
ガイドブックを見る限り、安めのところは1箇所のみでした。

メインバザールを後にして、
バックパックを背負いながらテクテクと歩き、コンノート方面へ向かっていきました。
途中、いろいろなインド人が寄ってきます。

何を買えとか、バクシをしてくれ、リキシャはどう?
ホテルは決まってるのか?どこに行くんだ?日本には友達がいるんだ・・
とまあうるさいこと・・・
しかしこれにめげていては、どうにもならないので頑張って歩きます。
しかし、インド人は何かにつけて「No Problem!」を連呼するんですね。
問題があってもなくても、「No Problem」これはインド滞在中一番聞いた言葉ではないでしょうか。

コンノートプレイスでは、ウンコを投げてくる子どもの襲撃におびえながら歩いたものです。
まずいことに、バックパックを背負ってフル装備の状態なので、
明らかにこちらは不利・・・バックパックが無ければ、また対応も変わるのでしょうが・・・

やっと目的地のホテルに着きました。
建物は10階くらいはあるんでしょうか。とても立派です。
中に入ると、意外と高級ではなさそうで、値段を確認したところ、当時の値段で300ルピーくらいだった記憶です。
ところが、このホテルの名前を失念してしまったので、
場所を思い出そうにも、思い出せないのです。

たぶんコンノートより南側。それもそんなに離れていない南側です。
当時の東京銀行(現在は東京三菱UFJ)に割かし近かったと思うのですが・・・
で建物は結構な高さがあり、10階立てくらいだったような。
この地下の食堂で朝食を取った記憶があります。

だれかこれだけの記述で、ホテルを当てられる人はいませんか?
コメントをお寄せください。

1995年2月

いよいよ一人で行動を開始です。
デリーの空港から行動を共にしてきた日本人5人組は、それぞれの旅路へと向かっていきました。
私も自分の旅路を開始することになったのでした。

名前を忘れてしまったのですが、
コンノートプレイスに程近い、10階建てくらいのやや古ぼけたホテルで、まずは朝食です。

下のほうの階にあるレストランで食券を買ってみたところ、
係のおじさんは早速釣銭を少なくよこして、わずかなお金を掠めようとしました。
釣銭が違う旨を告げると、
「What?」とか言って、愛想のいい笑顔を浮かべ、さらに誤魔化そうとするのでした。
それでも、こちらが釣銭が違うとしつこく言うと、
バレたかあ・・・といった顔をして、しぶしぶ正しいお釣りを返して寄こすのでした・・・。

いったい何人の旅行者が、お釣りを騙し取られているのでしょうか。
塵も積もればで、かなりの金額になってるはずですね。
このおじさんにとっては、いいお小遣いでしょう・・・。
これもインドの洗礼の一つになるのです。
そんな朝に始まりました。

本日予約してある、ボンベイ行きのラジダーニエクスプレスは、夕方の16時にデリーを出発とあります。
チェックアウトは11時ごろなので、
少しホテル周辺をうろついて散歩です。

じっくりデリーのコンノート周辺を歩いてみて感じたのは、
まず人が多いということです。
メインバザールほどではないのですが、ある程度の混沌が見てとれます。
行き交うリキシャやら、タクシー、人を満載したバス・・・
歩道にはたくさんの人々。少し歩けばバクシーシの攻撃にあう・・・
コンノート周辺では、強引に靴を磨こうと躍起になって、旅行者を追い回す、小学生くらいの子どもたち・・・
彼らは学校にも行かずに、こうして生計を立てているのでありましょう。

日本しか今まで知らなかった自分が、何と視野の狭い人間だと思ったものです。
世界にはいろんな人が居て、生活しているんだなあ。
もっといろいろな世界を見なければならないなあ。
と漠然と考えていたものです。
3日間ほどデリーに居て、ここでインドの歩き方のコツみたいなものがわかりかけていたのでしょうかね。