私の旅行記というか旅行雑感を書いています。Tripuncleのお店に来る人にも役に立てば嬉しいです。
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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

トリップアンクル縮小版


ニャチャン到着の翌日、早速海へ散歩に出掛けました。

宿から海は歩いて5分くらいだったように記憶しています。
海辺はきれいに整備されていましたが、海の色はさほど綺麗には思いませんでした。
少しの間海辺でぼーっとして、旅の疲れを癒しました。

ホーチミンから到着して、まず驚いたことは、人が近寄ってこないことです。
シクロも多くいましたが、いずれも追尾を受けることもなく、うるさく近寄ってくることもありませんでした。
これには少々驚きました。
まれにうるさいのも居ましたが、ホーチミンのシクロに比べたら、断然ましな部類です。
もし、近寄ってこられても、断れば何の問題もなく去っていきました。

ニャチャン滞在中は、ほとんど海辺で過ごしていたので、鉄道駅のある方にはまったく行かなかったので、そちらの様子はわかりませんでした。
ただ、ホーチミンでの疲れを癒すためだけに、ボーっとする時間を設けて過ごしていました。

一度だけ、ボッタクリのレストランに入ってしまい、黒板の値段を書き換えられて、トラブルになりました。以前のボッタクリレストランの記事で書いたようなレストランが、ここニャチャンにもありました。

その他は特に目立ったトラブルはなく、拍子抜けしていました。
ここで、さらにベトナム旅行を続けるパワーみたいなものが、現われてきて、次の目的地であるホイアンに向かうことにしました。

またバスでの移動となりました。
今度も日本製の中古車になるのか・・・と思いながら、シンカフェで予約したのでした。
ニャチャンからホイアンへのバスは、ホーチミンからニャチャンへのバスと違って、まともなバスの車体でありました。
しっかりエアコンも効いていて快適。

ホイアンまでは、かなりの時間を要した記憶があります。
おそらく12時間はかかったのではないでしょうか。
本当に快適なバスでよかったです。
苦行のバスならば、ホイアン到着後に寝込んでいたでしょう・・・
どうもシンカフェのバスは当たりはずれの差が大きいような気がしました。

道中のことはよく覚えていません。
ただ、国道1号線を北上していく上で、途中に綺麗な海辺のビーチがありました。
これは、今のガイドブックで調べてみると、カーナービーチというのが、ホーチミンとニャチャンの間にあって、このカーナービーチのような気もするのですが、いまいち思い出せないのです。

どちらにしても、ホーチミン~ニャチャンの間か、ニャチャン~ホイアンの間のどちらかに、居心地の良さそうなビーチがあったことは、間違いがないのですが・・・。
1998年の出来事であって、記憶が性格に蘇らないので、曖昧な記憶でご勘弁いただきたく思います。正確な情報を出せずに申し訳ありません。

ベトナムのバスは、快適でないという話はよく聞くところであります。
それに比べたらシンカフェのツアーバスは、とてもありがたい存在なんだなあと思ったものです。
現在もこういったツアーバスは運行されているらしいのですが、路線網が複雑化しており、利用時にはよく確認することが必要だと、地球の歩き方には記載がありました。
利用の際には、細かい点まで妥協せずに確認したほうが、後々トラブルにならなくてよさそうですね。

次はホイアンについて書きます。
ホイアンは、私が訪れたベトナムの町のなかでは一番落ち着く町でした。

このホイアンは小さくて、観光するには廻りやすい町でした。
本当にこの町はシクロもまったくうるさくなく、普通に町歩きを楽しめましたね。
他の町では、いろいろとうるさく付きまとわれて、辟易していましたから・・・

1999年にこのホイアンの町も、世界遺産に登録されました。
私が訪れたのは、1998年でしたので、その翌年ですね。

町には来遠橋、またの名を日本橋という屋根つきの橋が、小さな川に架けられていました。
この橋は、1593年に日本人によって架けられたということになっています。
この橋をじっと眺めていると、当時の日本人も苦労して、ここまでやってきて、この橋を架けたのだろうなあと、また感慨にふけることもできました。
ホーチミンと違って、誰にも邪魔されずに歴史を思いながら、感慨にふけるってなんだか、心地よいものです。
この橋の近くに、日本人町もあったようです。
当時も日本人は、東南アジアの各地に進出していたのですね。

アユタヤの日本人町についての記事も、ずいぶん前ですが書いたことがあります。参考までにどうぞ。

ホイアンの町は、中国風の建築も多くて、中国の影響を強く受けていたことがはっきりとわかります。
地理的に考えても、ベトナムの北側はすぐに中国なのですから、影響を受けて当然ですよね。
どことなく、ベトナムっぽくない感じの町。
強いて言えば、マレーシアのマラッカにあるような町並みですね。

ベトナム縦断旅行の際は、もしかしたら、ホイアンはよい休憩地になるのかもしれません。
ちょうどホーチミン(サイゴン)とハノイの中間地点くらいですしね。
ホイアンでもどこでも、ベトナム旅行中は、屋台には大変お世話になりました。
どこでも気軽に食べられるのが屋台のよいところ。
ベトナムはご飯はとても美味しいので、好みの問題もありますが、あんまり外すことはないでしょう。

ベトナムの屋台で、不思議だなあと思ったのは、屋台の椅子。
もちろん、普通の椅子ではあるのですが、高さがこれまた低いのです。
どの位低いのかというと、そうですねえ・・・
しゃがんで食べるイメージといいましょうか。
しゃがんで、ちょっと腰を上げたところが、椅子の高さです。
銭湯に行くと置いてある、お風呂用の椅子がありますよね?
あれと同じ高さの椅子が、屋台の椅子と思ってもらえれば、わかりやすいと思います。
高さは30cmもないのではないでしょうか。

例えば、フォーの屋台。
フォーとはベトナム風のうどんとでも言いましょうか。
米で作られた麺のことで、タイで言うクィッティオですね。
この米の麺が、鶏がらのだしなどで取られたスープに入っていて、上には肉や野菜がのっています。
これがまたどこか薄味で、あっさりと美味しいのです。

このフォーの丼ぶりを片手に持ち、この低い椅子に座って食べるというのは、何とも新鮮でした。
目線が低くなると、こうも変わるのでしょうかね。
座る時に、丼の汁をこぼさないように気を使わないといけませんけど。
今でもベトナムでは低い椅子を屋台で使用しているのでしょうか・・・?

ホイアンでは、日が暮れてからフォーの屋台に行くと、ローソクが灯されていました。
停電していたわけではありませんが、ローソクの灯りの下で、低い椅子に座ってフォーをすする。
なんとも懐かしいというか・・・・ほのぼのしてきてしまいました。


ホイアンからフエへの移動は、かなり距離も短く、他の区間と比べたら楽な部類です。
ホイアンからフエへの所要時間は、4時間くらいではないでしょうか。

現在は、フエとダナンの間にあるハイヴァン峠に、トンネルが開通し、所要時間は短縮された模様です。
このハイヴァン峠を境に、気候が全く変わってくるとのことでありましたが、1998年5月の気候では、それほど変わったとの記憶はありません。
北も南も暑かったという記憶が残るのみです。
ただ、峠を登りきった辺りは空気が涼しく感じられたのを覚えています。

ホイアンを出発すると、程なくしてダナンの町に入りました。
私の旅行の前にベトナムを周遊していた友人によれば、ダナンはろくでもない町であるとのことでしたので、今回はツアーバスが寄らないこともあって、あえてパスしていた町です。
バスの車窓から、ダナンの町を見た感じですと、なるほど、やはりろくでもない町なのかなあという雰囲気は感じられました。
でも実際に降りて、歩いて確認したわけではないので、間違っているかもしれません。
思い込みとは怖いものなんですね。

そんなダナンの町を通過して、2005年にトンネルが開通して所要時間が短くなったというハイヴァン峠を越えるといよいよフエに到着です。

フエはベトナム最後の王朝があった場所で、1993年に世界遺産に登録されました。
ホイアンでだらけてしまったので、気を引き締めてのフエ入りとなりましたが、ここでもまたある程度の洗礼を受けました。

フエの様子は、次回書きます。


フエに着いた時間は早かったので、適当な宿に荷物を置いて町へ出ました。

流石に世界遺産に登録されて、観光客が多いのかシクロが若干しつこかったです。
ただし、ここまで来てしまうと、しつこいのか何なのかよくわからなくなっています。
感覚が麻痺してくるのと、慣れです。
人間は慣れるというのは嘘ではなかった。と改めて思いました。
しつこくシクロがせまってくる、しかしもう動じません。
体が、対処の方法を覚えて勝手に行動する、という具合になっています。

フエの町は、シクロもそんな具合であったので、お得意の徒歩で動くことにしました。
橋を渡ると旧市街です。
写真で見たとおりの旧市街の建物を、ひととおり見て周ったのですが、当時の印象というのはどうしても思い出せません。
思い出したのは、食べたフォーが野菜で埋め尽くされていて、どくだみのような匂いのする香草が多く含まれていたことや、あるレストランに入ったら、また巧妙なメニュー変更作戦に引っ掛かってトラブルになったことなどの方が、強烈に印象に残っています。

これを読んだから、フエはろくでもないとは、思わないでくださいね。
また違う、よい出会いというのも、旅のタイミングでよくあることですからね。
そんな具合のフエですから、もう滞在時間も必然的に短くなってきます。

ベトナムをよくぞここまで北上してきたものだと我ながら思いました。
だってけっこう散々な思いをしていますからねえ。
たぶんたまたま出会った人間が、悪かっただけでしょう。
もっと別な方にいけば、また旅は違う方向へいったのかもしれません。
出会った日本人はみな同じ境遇なのか、よい方が多かったのですがねえ。
本当に日本人の方々とは励ましあって、ここまで来ました。感謝感謝です。
旅って面白いですねえ。

ここから、陸路でラオスに入りヴィエンチャンを目指すか、ハノイまで行って考えるか・・・
とても悩みました。

しかし、ここまでベトナムに居れたのだから、ハノイを見ない手はないであろう。
ハノイを見た上でベトナムの旅を完結しよう、と勝手な考えを浮かべ、それを実行することにしました。
とはいっても、ハノイまでは飛び道具、まさに飛ぶという、飛行機を使うという技を使うことにしたのです。

もう陸路のバス移動は疲れました。
ベトナムの国にも疲れを感じていたので、早く移動したいという本能が働いたのかもしれません。
いやいや、単に楽をしたかったのかもしれません。
修行はもうこりごり、と根性のない私は考えていたのでしょう。

とにかくハノイから先のことは後から考えようと、さっさと気が変わらないうちに、ベトナム航空のオフィスに出向いて、フライトの予約です。
ラッキーなことに、翌日の昼前の便に空席がありました。
ハノイまでは1時間10分だそうです。何て楽なこと・・・・

久しぶりな楽勝移動に、心をときめかせながら、フエ脱出の荷造りをしたのでした。



翌朝、昨日予約しておいたベトナム航空でハノイへ飛びました。

フエの空港は小さなもので、タラップで飛行機へ乗り込むことになりました。
フエの空港までは、確かベトナム航空のミニバスで空港まで送られたように記憶しています。
このへんの記憶は曖昧です。
現在もガイドブックを見ると、ベトナム航空のバスは市内と空港の間を運行しているようです。

ベトナム航空の機材は意外なことに新しいF70(フォッカー70)という機材でした。
フォッカー社はすでに倒産してしまっていましたが・・・
F70は1998年の時点では比較的新しい機材でした。
もっと旧式な機材が当たると思っていたのに、ベトナム航空も頑張って機材を更新しているのだなあと、感心した記憶があります。
現在でもボーイング777-200などを使っており、今後はどうなっていくか注目ですね。

さて話がどんどん飛行機の話題にそれていきました。
話を戻すと、ハノイに到着してからとなりますね。
フエからハノイは、飛行時間としては1時間と少々でした。
順調な飛行で特に揺れるわけでもなく、ハノイのノイバイ空港にランディングとなったわけです。

ベトナム航空は様々な情報からすると、着陸前に急な降下を行うとの噂もありましたが、そんなことは全くなく、ごく普通の降下をしながらの空港への進入となりました。
この情報は乗った人がそう感じただけかもしれませんね。

飛行機を使うといつも思うのですが、なんて快適でしかも早いのでしょう。
この距離をバスで陸路の移動をしたら、いったいどの位の時間がかかるのだろうと考えると、まあ少々高くても仕方がないのかなあとも思いますね。

こんなわけで、だんだん根性のないバックパッカーになっていきました。
次はハノイについて書きます。

ハノイには無事にランディングしました。

さて空港から市内に向かわなければなりません。
飛行機は移動自体は楽なのですが、この空港から市街地へ入る時が、ちょっとした問題になったりもします。
特にアジアの国々は、空港から市内へのアクセスがしっかりしていないことが多いので、空路自体の移動で楽はできても、空港~市内の移動が厄介なことが多いのです。

ご多分にもれず、ハノイもその通りでした。
ノイバイ空港~市内はタクシーしかないと聞いていたので、とりあえずタクシーに乗ることにしました。
ちょうど、同じフライトに日本人が乗っていたので、タクシーをシェアすることになり、市内へ向かいます。
途中に有料の橋があるので、その橋にの料金も含んだ上での交渉をした方がよいとのことで、そのように交渉し、たしか10USドルくらいだった記憶があります。
こちらは総勢3名だったので、多勢に無勢か交渉は意外とあっさりと決まり、いよいよ市内へ向かいました。

市内までは40分くらいだったでしょうか。
確かに途中に有料の橋がありました。
ハノイの市内には西側から入ってくる感じになります。ここもまたバイクの洪水でした。
バイクの中にまみれながら、進みホアンキエム湖のあたりでタクシーを降りました。

ホテルを探して投宿です。
3人のうち一人は宿代が高いということで、他のホテルへ行きましたが、もう一人の日本人とは同じホテルにシェアすることになりました。

次はハノイの街についてです。
早速ハノイの街の散策を開始です。

ホーチミンと並ぶ大都会ではありますが、ホーチミンよりはましです。
何がましかというと、うるさくないということですね。
シクロなどは多少は追尾してきますが、諦めるのがまだ早いほうですね。
ただ、バイクがやたらと多いので、徒歩での移動にはかなり気を使います。
うかうかしていると、跳ね飛ばされそうな感じです。

見るべきものは、オプショナルツアーでハロン湾とかいうことになるのでしょうが、そこまで行くのも面倒になった私は、ひたすら町を散歩して過ごしました。
特にホアンキエム湖の周辺をうろうろしていました。

これは1998年5月の話になるのですが、3年ほど前に友人がハノイに行ったとのことで、話を聞いてみると、特にうるさくなくて拍子抜けしたと聞きました。
とても意外な感じです。
タクシーなども多く走っていて、特に激しいぼったくりはなかったとも言っていました。
ますます意外・・・・

旅行では出会いのタイミングもありますし、それがその場所やその国の印象に直結していくので、出会いというのは本当に重要なんだなあと思います。
どんな人と出会いがあるのか、どんなトラブルがあるのか、それもまた旅の楽しみに一つなんですがね。
私は旅の途中ではトラブル歓迎な方ですが、このベトナムの旅はトラブルが多く消耗戦となりました。

ハノイでの生活が始まりました。
生活?と言っても1週間と少しだったのですが、とても長く感じました。
なぜ、そんなに長くなってしまったか?
それはですね、ラオスのビザ申請に始まるのです。
そして、ホアンキエム湖の周辺をうろつく羽目になりました。
何周も何周も、ぐるぐるぐるホアンキエム湖の周りを歩いたものです。

ホアンキエム湖は周囲1キロくらいで、歩いて20分くらいで周れてしまいます。
歩いていると、ジッポ売りの少年がやって来ます。
ベトナム戦争の時にアメリカ軍が残していった、ジッポの偽物を売って歩いているわけです。

歩いていると前方に少年が立ちふさがり行く手を邪魔します。
満面の笑顔で寄って来て、一つのジッポを渡してきます。
「たった1ドル!」
ほー1ドルにしては安いなあ・・と手にとってジッポをまじまじと眺めます。
気に入ったデザインのがあれば、買ってみようかなと、思ったその瞬間。
私が手にしていたジッポを、引ったくり
「やっぱり売らない!」と言うのです。
完全にからかわれています・・・・
そんな不愉快な仕打ちを何度か受けました。

ホーチミンでも似たような手口はありました。
「あー早くベトナムを出たい。でもビザが・・・」という完全なジレンマ?に陥っていたのでした。

そうして、ホアンキエム湖の周りを歩くしか手のない私は、ハノイを徘徊していたのでした。
ホアンキエム湖を徘徊していた理由は、ラオスのビザ待ちでした。
現在でこそ、ベトナムとラオスはビザ無しでの入国も可能なようですが、当時は両国共にビザが必要であったわけです。

ハノイの次にルートはどうあれ、ラオスに入国を決めていた私は、当然のようにラオス大使館に行き、ビザの申請をしました。
全部で5日間くらいかかった記憶があります。
ラオス大使館の、あまりの無愛想ぶりに、この次に訪れようとしているラオスという国もいかがなものか?と少し考えましたが、ラオスの首都ビエンチャンまで行けば、大好きなタイは目の前ということで、とりあえず行ってみることにしました。
以前、寄り道ラオスに少しラオスの様子を書いたのですが、予想とは全く違った国でした。
とてものんびり。絶対ベトナムからラオス入りをお勧めします。逆は精神的に厳しいと思います。

もう一つの選択肢としては、中国へ抜ける手もありですが、とても中国方面へは北上する気にはなりませんでした。
中国から南下してきた旅人たちは、ベトナムよりもパワーを使う旅路になるであろうと、口を揃えて言うではありませんか・・・・。
根性のない私は、もう面倒にもなってきて、早く楽をしたいあまり飛行機を使ってラオス入りすることにしたのでした。

ビザが下りるまでの期間は、何故かとても長く感じられました・・・。

ブンチャーという料理を食べに行くことにしました。

ブンチャーとはお米で作られた麺を、揚げ春巻きやら野菜やらと一緒に、タレを付けて味わう料理のことで、どうしても食べてみたいと思っていたのです。

宿の人に、ブンチャーを出す食堂を聞いて、確認の上、いざ出発です。
こうして確認して、場所をしっかり把握しておかないと、町に出た途端にシクロやバイタクの餌食になりそうなので、こうして万全を期しているわけです。

これまでにも、散々街をふらついていましたので、だいたいの場所の見当を付けて歩きます。
目的地がしっかりしていると、途中で地図をみたりする手間が省けるので、好都合です。
余談ですが、私はガイドブック(当時はメコン情報ノート)から地図を切り離して、ポケットに入れて持っていました。見たくなったら、道の端によってコソッと地図を見るわけです。

さてブンチャー料理ですが、一人で行ったのが失敗でした。
通常は複数人で食べるものらしいです。
一人には多すぎるくらいの量のブンチャー、春巻き、野菜などが出てきました。
味は、このタレと春巻きとブンチャーの相性がとても良くて、食が進みます。
とても美味しい。次々に平らげていき、2人前のものをついに完食しました。
もうお腹がはち切れそうです。

隣に座っていた、ベトナム人の夫婦も、私の食べっぷりに感心して、
「よく全部食べられたね、エライね」と褒めてくれました。
彼らは二人で来て、残していましたから・・・
大食いで褒められてもねえ・・・・後からが笑えませんよ。
店員さんも笑っていました。いやはや・・・・

この日当然、晩御飯は抜きにしました。
そして散歩です。

ラオスビザ待ちの間は、コピーのパスポートしかないので、あんまり他の町へ行く気にはなりませんでした。
よって、ハノイの町にずっと滞在し、ふらふらと徘徊することになります。
ずっと、1日中歩いているわけにも行かないので、カフェなどに適当に入って休むこともしばしばでした。

カフェに入れば当然ベトナムコーヒーを飲んでゆっくりすることになります。
前にもベトナムコーヒーについては少し書きました。
北のベトナムコーヒーには、どうゆうわけだかカップの上にあの独特の器がのっていないのです。
ホーチミンなどでは、中に挽いた豆が入っていて、お湯が注がれたものがカップの上に載っており、それが落ちきるのを待ってから飲むのですが、それがないのです。
つまり、カップにコーヒーがすでに注がれて出てきます。
あのコーヒーが落ちるのを,目の前にして待っているのも、よいものなんですがね。

しかし味は悪くありません。美味しいです。
底にコンデンスミルクが沈んでいるのも同じです。
このベトナムコーヒーを、1日何杯飲んだのでしょうか・・・
よほど暇だったんですね。

よく行った店は、名前を忘れてしまいましたが、今のガイドブックには載っていなかったので、なくなってしまったのでしょうか。
グエンフーファン通り沿いであったのではないかと、記憶を辿っているのですが・・
内装はちょっと薄暗く、地元の人しか入っていないようなカフェでした。
見ていると、みんな薄暗い中で何をするでもなく、ただカフェをすすりながら、物思いにふけっている様子でした。
ここが好きになって、よく通ったものです。
やっとのことで、ラオスビザが下りました。
パスポートも返してもらって、やっと一安心。
これでベトナムを脱出できます。

出発前夜、自分で自分をお祝いしました。
よくタイからこの激しい国ベトナムにやって来て、1ヶ月もの間旅をできたことを・・・
何回途中でタイに戻ろうとくじけそうになったことでしょう。

しかしいろいろな人に出会い、励まされ、癒されて、このベトナムの旅を終えることができました。
とはいえ、最後の日にも、ベトナムドンを使い切るために入ったフォー屋で、またもやボッタクリに遭い、手持ち以上のベトナムドンを要求されるというトラブルに巻き込まれました。
手持ちのドンを使い切るために入った店なのに・・・・
初めのおばちゃんの笑顔に騙されてしまいました。

ハノイの町から、ノイバイ空港へ向かうミニバスの中で、静かに感慨にふけりました。
ホーチミン、ニャチャン、ホイアン、フエ、そしてハノイ。
この長くて短い約1ヶ月の思い出が、一気に頭を駆け巡りました。
「ベトナムもそんなに悪くなかったのかな・・・・」
また一つ、自分の旅の経験値を上げてくれたという、そんな国でした。

いよいよ、ノイバイ空港のイミグレーションで、出国スタンプが押されました。
この続きは、寄り道ラオスと、ラオスからバンコクへなどに記載しています。



いつもお読みいただきありがとうございます。

寄り道ベトナムシリーズもこの回で終了となります。
ベトナムの総括としては、やはり旅行しにくい国ということになるのでしょうか。
10年前に私が渡航して以来、ベトナムは非常に人気の国ということになり、日本からの直行便も就航して、雑貨が好きな方なども多く渡航されるという状況になりました。

国の状況は年々変化していくので、私の書いたこの情報はもしかしたら古いものかもしれません。
もしかしたら、ご飯を食べて、ぼられていても気が付かないのかもしれません。
物価自体が安いですからね。


基本的に旅は、その時の出会いによって、印象が左右されるといっても過言ではないと思います。
今後ベトナムに旅行される方が、これらの記事を読んでそうゆう国なのかという先入観でもって旅に出ても、またそれとは違った形の旅になる可能性もありますが、それはよいことではないでしょうか。

どんな形の旅にせよ、刻々と変化する状況を受け入れてそれを楽しめる人は素晴らしいです。
そんな時、いろいろな情報が頭の隅にあると、また行動も変わってくるでしょう。
しかし、身の安全を第一に旅をしてくださいね。無理は禁物、自分のペースでゆっくりと。
旅は、本当にいろいろなことを教えてくれます。
かわいい子には旅をさせろ。とは昔の人はよく言ったものですね。

次回からは、ミャンマーについて”寄り道ミャンマー”で書いていきます。