私の旅行記というか旅行雑感を書いています。Tripuncleのお店に来る人にも役に立てば嬉しいです。
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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

トリップアンクル縮小版


ミャンマー人は親切な人が多いという印象を受けました。
これも旅のタイミングと言いますか、その時その時の出会いによってその国の印象は変わっていくものだと思います。

私は、たまたま出会ったミャンマー人の方々に親切にしていただき、いろいろ助けてもらったので、頭の下が思いをすることが多かったですね。

まずバスに乗ると、きまって周囲の誰かが声を掛けてきてくれて、行き先を告げると、車掌にお金を払ってくれて、こちらがいくらお金を渡そうとしても、絶対受け取らないでいて、目的地に着くとちゃんと教えてくれて、そこで金品を要求したりはしなかったり、
町を歩いてると声を掛けてきて、行きたい場所まで連れて行ってくれ、そこでお金を要求されると思いきや、「じゃあこれで、ごきげんよう」と去っていく人がいたりするんです。

これらは私が体験した本当の話です。

前にも書きましたが、たまたまタイミングの問題かもしれません。
タイミングが良かったから、いい出会いがあって、その国の印象が変わるということは、よくあることです。
ですから、話半分で読み飛ばしていただいて結構です。

ただ、そういう人に出会うたびに、自分の人間の小ささを思い知らされました。
ミャンマーを訪れてから、丸10年が経過していて、これは1999年当時の話ですから、現在でもこの状況かというと、わかりません。

ただ変わっていてほしくないなあ、というのが本音ですね。
マンダレーの町の様子は、はっきりとは覚えていないのですが、
第一印象としては、意外と人が多いなあと思ったのを記憶しています。

翌日に、バガンへのボートを予約してしまったので、
実質的には1日しかマンダレーには滞在しないことになりました。

バガンへは、川を行くボートに乗るのが面白そうだったので、そうすることにして、ボートの予約をホテルにお願いしたのですが、何と翌日がスピードボートで、翌々日はスローボートになるとのこと。
スローボートは恐ろしく時間がかかるので、止めておいたほうが良いとホテルの人が親切にも教えてくれたので、素直にマンダレーの滞在を諦めて、スピードボートに乗ることにしたのでした。

それが大正解であるということになろうとは・・・だれが予想したでありましょうか。

さて、街歩きもほどほどに、今日はどうしても行きたいところがあったので、そこに向かうべく情報を収集しました。
目的地は、アマラプラです。
アマラプラには、ウーベイン橋という橋があるのです。
そこにどうしても行きたかったのです。
理由は特にないのですが・・・・・ただ何となく・・・
旅なんて、こういうことがあってもいいんではないでしょうか。
風の向くまま、気の向くまま。


マンダレーから40分ほどバスに揺られると到着する、アマラプラの町というか村。
この場所に、ウー・ベイン橋という、木造の橋が残っています。
160年ほど前に建設されたというこの橋に、何となく思いを惹かれて、行ってみる事にしたのでした。

マンダレーの町からは、トラックバスに揺られること40分とガイドブックにはありました。
こちらの地方のバスは、バスといってもトラックです。
それも日本で遥か昔に建設現場で使われていたであろうと思わせる、○○建設や○○工務店などのロゴが入ったままのトラックです。
当時この会社で働いていた人がマンダレーに来たならば、このミャンマーの土地で昔自分が使っていたトラックと思わぬ再会を果たし、きっと感激することでしょう。

余談になりましたが、そんな感じのトラックに揺られていくことになりました。
ガイドブックに、ここから出発すると記載のあった、街角に立ちバスを待ちます。
しかし、バス停のポールなどあるわけでもなく、ぱらぱらと何人かのミャンマー人が佇んでいます。
そこへトラックの荷台に椅子を括りつけただけの、日本なら明らかにあり得ないバス?がやって来ては、ミャンマー人を乗せてどこかへ走り去ります。

行き先表示は一応あるのですが、ミャンマー語につき、さっぱり理解不能です。読めません・・・
それでも何とか何台かのバスを見送り、よく行き先や番号をチェックしてみましたが、番号のない車も来たりして、一向に埒が明かなくなってきました。
こういう時はなりふり構わずと、近くのお店に入り、そこのお姉さんに聞くも、英語を話せず、よくわからないままです。
地名を連呼してみましたが、イントネーションが違うのかまったく通じません。

これはたどり着くのは厳しそうだなあと感じていたのですが、仕方なく直接ある作戦に出ることにしました。
(つづく)
一番下にある地図から見ていただくとわかるかと思います。
★印のピンマナが、ミャンマーの首都となっています。最近遷都しました。
いま記事を書いているのは、マンダレーと表記のある辺りです。
マンダレー州の州都がマンダレーで、そこからバスで行こうとしているのが、アマラプラです。

さてアマラプラへですが、バス停でいくら来るバスを確認していても、埒が明かないので、、すべてのバスに声を掛けるという作戦に変更しました。

すると、3台目くらいのバスが、アマラプラへ行くというではないですか。
このバスには運よく少し英語を話せる人が乗っていたので、その人を介してアマラプラへ行くということがわかったのです。
早速バスに乗り込みます。
バスといっても、トラックです。○○商会などどロゴが残っていて、明らかに日本で使われていたのでしょう。
その2トントラックの荷台に、ベンチのような椅子が設けられており、その少し英語を話すミャンマー人に導かれるまま、そこに座りました。

トラックバスは勢いよく発車です。
あちこちの停留所でミャンマー人を乗せ、荷台は人と物で一杯です。
ミャンマー人のバスの車掌は、上手に荷台の縁を渡りながら行き来し、発車の合図をし、乗客から運賃を収集していきます。サンダル履きなのに見事ですね。
見ていて落ちやしないかと心配でした。

トラックの荷台は、なかなかスリリングです。
日本ではもうできないことですので・・・・
そんなバスに揺られること40分くらいでしょうか。
やっとアマラプラに到着です。


ミャンマーの地図
マンダレーからアマラプラまでは長く感じました。
行き先については、ミャンマー人を信じるしかないわけですし、このトラックバスが本当にアマラプラに向かっているという保証は、まああんまりないわけですから・・・

少しだけ英語を話すミャンマー人が、簡単な英語で周囲のミャンマー人とのコミュニケーションをとってくれたので、道中は結構質問攻めにあっていたのではありますが・・・
ミャンマー人は、やはり擦れてないんですね。
1999年は、擦れていないという状況だったのですが、現在はどうなのでしょうか?

この道中は長く感じたのものの、何となく意義深いというか、忘れかけていたものを思い出させてくれました。

さていよいよアマラプラに到着です。

英語のできるミャンマー人が、ここで降りればウーベイン橋は近いという、何もないバス停で降りました。当然バス停のポールはありません。

変な門というか、塀の続きのようなところを抜けて、湖の方へ歩いていきました。
いよいよアマラプラの観光?開始です。

この町は、エーヤワディー川とタウンマン湖という湖に挟まれたところに位置しています。
昔は都になったこともある町で、またの名を「不死の町」とか言うそうです。
とても興味深いですね。
(つづく)

アマラプラへ到着し、ミャンマー人に言われるがまま、歩いていきました。
途中で、耳を澄ますと「カシャンカシャンカシャン」と機織の音が聞こえます。

最初は何の音かわからなかったのですが、音の出ている民家の窓越しに機織りの機械が見えました。
なので、これは機織りの機械の音だと、気がついたわけです。
よく見ると、機織り機を若い女の人が巧妙に操り、懸命に織物を作っていました。

目を閉じて、この「カシャンカシャン」という音を聞いていると、何だか懐かしいような気がしてきて、心が落ち着いていくのがわかります。
今まで、機織りの機械の音なんてものを、全くと言っていいほど聞いたことがないのに、何故心が落ち着くのだろうと、不思議な感じがしたのを覚えています。

この地域は織物産業が盛んであると、後から知りました。
10年を経た今でも機織りの機械が、動く音が聞こえるのでしょうか。

そういった集落を抜けていくと、いよいよウーベイン橋が現われました。
この木造の橋が架かっているのは、タウンタマン湖という湖です。
160年前に作られたこの橋は、今でも現役で活躍しています。

この時期は乾季なので、橋の下には水がありませんでした。
いよいよこの1.2kmの木造橋を渡ります。
(つづく)
木造の1.2kmの橋というのは、なかなか珍しいかもしれません。
それも160年前に作られたものですからね。

そんなありがたい橋を渡りました。
天候は晴れていたので、直射日光をまともに受ける感じです。
橋の途中に休憩所が設けられていますが、誰かが寝ていたり、物売りが居たりと、落ち着いて休憩というわけにはいきません。

雨季にはどうなるかわかりませんが、橋の高さはそれ程でもなく、橋自体に柵も付いていないので、それほど水位は上がらないのだろうなと察しは付きます。

結局、炎天下を1.2km歩き続け、橋を渡り切りました。
これで目的は達成されたわけです。
対岸にはチャウットーヂーバヤーという仏塔がありました。
特にこれといって、何もないのですね。
私はこういう何もないところに来るのがすきなのかもしれません。

マンダレーから11kmほど南に位置する、このアマラプラの集落。
このウーベイン橋のおかげで少しは観光地になってもいいんですがね。

帰り道、日本人とすれ違いました。
マンダレーへ戻る最終バスを気にしている様子でした。
当然時刻表などはないバス路線?ですので、最終の時間は気になりますよね。
ここではタクシーもいないでしょうから、バスがないとなると立往生間違いなしという結末になるのは目に見えています。
果たしてこの日本人は、マンダレーに無事戻れたのでしょうか。

とても気になります。

無事にマンダレーに戻れました。
地方の田舎町に行くというのは、ちょっとした冒険ですね。
こうしたドキドキした感覚は、旅の醍醐味ではないでしょうか。

マンダレーは、トラックバスに乗った場所に着きました。
またしても日本製のトラックを改造した、バスとは言えない代物ですが、これがバスなんですねえ。
やっぱり○○工務店とかロゴがそのまま残ってました。
この会社の人は、このトラックをみたら感動するでしょうね・・・きっと。

何故か、このアマラプラへは行きも帰りも、どこからともなくちょっと英語を話せるミャンマー人が乗っていて、どうにかなりました。
どこかで見られていたのでしょうか?
また、こうした人々は、非常に親切にしてくれて、周りのミャンマー人とも交流を図ってくれるので、大変助かるのでした。
旅していると、ミャンマーに限らずどこでもそうなんですが、困っていると必ず、何らかの助けが入ることが多く、今まで散々助けてもらいました。とても感謝しています。ありがとう。
今度は自分が助ける番なのかもしれません。

この晩は、明日のバガンへの船旅に備えて旅支度です。
マンダレーは、王朝があった時代もあるので、町自体の見所は多いのですが、アマラプラに惹かれて行くことはできませんでした。
旧王宮やら、マンダレーヒルやら・・・もっと見たかったけれど、仕方がない。すべてを見ることは難しいのだから・・・

さあいよいよ明日は、一風変わった船旅が楽しめそうです。
(つづく)


マンダレーの滞在は終了し、いよいよバガンへ向かいます。

前日のアマラプラの疲れからか、見事に朝寝坊です。
バガンへのボートは、当然一日に1本しかないので、逃すとそれまでです。
出港は朝早く、6時に出発とのことでした。
タクシーを5時に頼んでおいたのですが、起きたのは5時・・・・
それも部屋の内線で起こされました。
「きみの友達が、ロビーで待ってるよ」とのこと・・・
その後、ドアを誰かがノックしています。起こしに来てくれたんですね。
やさしいミャンマー人。
バタバタと慌てて、起き出して、荷物をまとめて部屋を出ました。

こんな時は忘れ物をしがちなので、慌てず確実に準備です。
前夜にある程度荷物はまとめていたので、10分ほどで部屋を出れました。

バタバタとタクシーで、港へ向かいます。
港までは結構距離があり、15分くらい暗い街の中を走りました。
港と言っても、川沿いの船の乗り場です。

港に着くと、バガン行きのスピードボートは出港の準備をしていて、今にも出発しそうな感じです。
「ふーっ、間に合ってよかった」
同行の友人に、寝坊の件を侘びました。
勿論すぐに許してくれました。
旅に来ているのに、この緊張感の無さ・・・
それだけ、ミャンマーは旅し易かったということなのでしょうか。

やがて、スピードボートは出港しました。
(つづく)

こうして、寝坊の朝からボートの旅が始まりました。
船は、スピードボートとはいえど、名ばかりでごく普通の船でした。
ミャンマー人も入り乱れて乗り込んでおり、ローカルな雰囲気です。

エーヤワディー川を下りながら、一路バガンを目指していきます。
川幅は思った以上に広く、流れというものがどちらに向いているのか、水面を見る限りはわかりません。
なおかつ、クネクネと曲がっているので、どこが本流なのか、よくわからない箇所もありそうです。
そんな中、船はスローなペースで進んでいきました。
おそらく、昨日行ったアマラプラの辺りも通るはず、と目を凝らしていたのですが、よくわかりませんでした。

途中に何もないところでお客の乗り降りがあります。
桟橋などは当然ないので、川岸から少し離れて停泊し、板切れを船との間に一枚掛けて、その上を大量の荷物を持ったミャンマー人が、器用に行き来していました。
狭い板切れなのによく落ちないもんだなとか、よく板切れがポキッと折れないなあとか、見ていて思いました。
とてものんびとした光景ではありますね。

そんな停泊場所が、いくつもあり、そのたびに停泊しては乗降があります。
これは本当にスピードボートなんだろうか??
私のそんな考えとは裏腹にスピードボートは、ゆっくり、ゆっくりと、エーヤワディー川を下っていくのでした。

今は乾季で水量は少ないはず、なのですが、見る限り豊富な水量に見えます。
雨季にはいったいどうなるのでしょうか?
クルーズはまだ続きます。
(つづく)

朝から船に乗り、川を下ること9時間。
景色にも飽きた頃に、バガンに到着です。

途中の景色は、大きな川、何も見えない岸辺。
この二つを見ながら進みました。
何もない所に停泊し、どこから来たのだろう?と疑問になるほど周囲に何もない所から、ミャンマー人が乗り込んできたり・・・
非常に不思議な光景でした。

そんな船旅もバガンの岸辺に到着して終了です。
そのバガンの岸辺も、ここは一体どこなのか?とわからないくらいの港でした。
他の乗客が一斉に下船を始めたので、終点とわかりました。
無事にマンダレーから運んできてくれた、このスピードボートともお別れです。

デッキで下船の順番を待っていると、
我々の泊まろうとしていた、ピンサルーバ・ゲストハウスのバッジを持った、ホテルの人が、迎えというか客引きに来ていたので、車に乗せてもらうことになりました。

船内で別のミャンマー人に、乗り合いタクシーを頼んでいたのですが、それを急遽断ってしまいました。
ムッとされましたが、ほとんどの欧米人がそのミャンマー人の車に乗っていて、大繁盛のようでしたので、まあいいでしょう。
我々もとなると、車に乗り切れたかどうか・・・ハイエース1台に10人は欧米人が乗り込もうとしていました。大きな荷物をたくさん持って・・・
運よくバガンの船着場で、船に乗り込んできた、ピンサルパゲストハウスの客引きというか従業員と出会えたことで、無料で運んでくれることになりました。
ちょっと、約束していた運転手とは嫌な感じになったけれど、まあ仕方がないですね。

他には、ピンサルパに行くお客さんは居ないようだったので、
そのまま私達だけで、ピンサルパへ送ってもらうことになりました。

バガンには船着場が、オールドバガンとニャウンウーと2箇所あるのですが、どうやらニャウンウーの方へ着いたらしくオールドバガンまでは、10分くらいで到着。

ピンサルパゲストハウスは、ごく普通のゲストハウスなのですが、ここの一番の売りは、何と言っても熱いお湯がホットシャワーとして豊富に出ることです。
1泊3ドルで朝食付きの安宿では、ホットシャワーなどないところがほとんどにもかかわらず、ここではシャワーは部屋の中にあり(共同ではない)、しかも熱いお湯がドバッと出るのです。
熱すぎて水と一緒に出さないとやけどしそうなくらいです。
昔どこかの温泉宿や銭湯が、お湯のボタンを押すと異常に熱いお湯が出てくるあれと同じ感じですね。
どのようなシステムかはわかりませんが、とにかく感動しました。
この情報は、ヤンゴンにいる時に、別の日本人から教えてもらいました。なので、バガンに行ったら必ずこの宿に泊まろうと心に決めていたのでした。
是非とも湯量豊富な、このピンサルパという安宿に泊まってみたいと・・・

今まで、安い下ゲストハウスで、こんなに湯量豊富なホットシャワーにお目にかかったことはなかったですからね。
そんな熱くて気持ちのよいシャワーを浴びて、旅の疲れを癒したのでした。


バガンの遺跡は広範囲の広がっているので、効率よく見て周るには、レンタサイクルなどの利用が必要です。
タクシーなどをチャーターして周ってみるのもいいのですが、とにかく安いレンタサイクルで周ってみることにしました。

ニャウンウーからオールドバガンへは舗装路が続いていて快適なのですが、とにかく暑い。
オールドバガンに向かう途中で、ティンローミンロー寺院に寄る。
そしてまたメインロードに戻り、オールドバガンの中に入っていきます。
このオールドバガンが本来のバガンで、荒野の中にぽつぽつと仏塔が並んでいるのでした。
この光景は何ともいえません。小さいものを含めたら仏塔は果たして何基あるのでしょうか・・・

オールドバガンの中をうろうろしていると、太陽がじりじりと焼付くような光線を、どんどん出してきたので、ニューバガンまでは行くのは諦めて、もう一本のメインロードで戻ることにしました。
そのまま帰るのは、何となく嫌だったので、もうひとつタマヤンジー寺院に寄りました。
ここは夜になると、幽霊が出るとか・・・

タマヤンジー寺院へは、未舗装の砂利道でした。
今は舗装されているのかな・・・?
誰もいない道を、砂に足をとられつつ進むと、やっと見えてきました。
寺院は誰も居ないと思いきや、数名の西洋人が居ました。
少し怖いと思っていたので、安心したのを覚えています。

バガンの遺跡めぐりは、この辺で終了です。