私の旅行記というか旅行雑感を書いています。Tripuncleのお店に来る人にも役に立てば嬉しいです。
ただのタイが好き、そして旅が好きなTripuncle代表の旅行ブログです。

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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

トリップアンクル縮小版


遺跡めぐりは、とにかく昼間は暑いので体力勝負となります。
行ったのは1月の下旬ですが、この時期は乾季とあって天気はよいのですが、暑いですね。
なので、レンタサイクルで周っていても、大汗をかきました。
水分補給は必須ですね。

ニャウンウーからオールドバガンを経て、ニューバガンまで足を伸ばそうとしていたのですが、
途中で諦めてしまいました。
ああ、いつも根性のないこの私・・・
宿に帰ると、すぐに自転車は返却してしまいました。
宿のお兄さんは「えっ、もういいの??」と不思議がっていました。

結局宿に戻って、休憩となってしまったのです。
このピンサルパは熱いシャワーがすごい勢いで出ますから、快適です。
どこへ行ってもこんな調子の旅になってしまうのですね。ぐうたらと・・・

ピンサルパの近所にイタリアンの料理を出しているお店があるとのことだったので、行ってみました。
名前は忘れましたが、最近のガイドブックで確認してみると、たぶん”サンカバル”という店ではないかと思われます。
ミャンマーに来てパスタというのも、面白いと思ったのですが、味は”うーん”という感じですね。
ただ、この店がまだ健在であるとするならば、もっと良くなっていると思いたいです。
ミャンマーのバガンであれば、ヨーロッパからのツーリストも多いわけで、イタリアンのお店もあってもいいと思いますので、頑張ってもらいたいものです。
どなたか最近行った方はいませんか?

マンダレーからバガンへのボートのお話です。

私達が利用したのは、スピードボートだったのですが、他にもスローボートもあったのです。
スピードボートと言っても、ただの船で、水中翼船やらホバークラフトなどという上等な乗り物ではありません。本当にただの船、それもボロの船です。
ただ、スピードは速かったのか、寄港地が少ないのか、その辺はわかりませんが、バガンには夕方には到着しました。

スローボートに乗ってしまった、日本人の話を聞いたところ、最悪だそうです。
船がボロいのはいっしょですが、とにかく遅いそうで、バガンには夜中の23時ごろに着いたそうです。
マンダレー出発は朝6時と、ほとんど変わりません。
船足が遅いのはまだ良しとして、それよりも最悪なのが、日が暮れてからのこと。
とっぷり闇に包まれると、船だけが電灯で明るいので、付近にいる虫、それも大量の虫たちが船めがけて飛んでくるんだそうです。
その数は半端ではない数で、目も開けてられないとか・・・
話を聞いた日本人の方は、運よく水中ゴーグルを持っていたので、それを装着して何とか凌いだそうですが・・・
他のツーリストも、虫にたかられて、かなりつらそうだったとのことです。

自然の力はすごいですね。周囲に明るいものが何もない川の上で、その付近のすべての虫が飛んでくる。恐ろしいです。

船足の遅さというよりも、無数に来襲する虫の攻撃にはほとほと参ったらしく、かなり疲労したとのことでした。

10年前はそうだったのですが、現状はわかりません。
もしスローボートを利用しようと思っている方は、よくこの辺りの情報を集めてからの方がよいのでは・・・
ご注意されたし・・です。

バガンはとっても良い所なんでありますが、
日程が詰まってきた関係上、そんなに長居はできなくなってきました。

少々ヤンゴンで長く居すぎた模様です。
相変わらず、自分はペースが遅いんですね。参ります・・・
ヤンゴンからバンコクへ戻り、バンコクでも少し休養したいので、どうしても3日くらいしか、ヤンゴンでの時間は取れそうもないのでした。

本当はヤンゴンへ戻る時にはバスを利用したいと考えていたのですが、
やはりミャンマーの飛行機にも乗ってみたいなあと思ってしまったのでした。

バガンでは空港まで行かないとチケットは取れそうもなかったので、
宿で相談してみると、宿の人がどこかで手配してくれるとのこと。
料金は少し発券手数料を取られたものの、正規の料金に近かったのでお願いすることにしました。

本当はエアーマンダレーを希望していたのですが、FULLで取れず、
次に良いと言われている、ヤンゴンエアウェイズなら取れるとのこと。
ミャンマー国内航空は、安全性に問題があるのでやめておくように言われ、最近就航したばかり(1999年のこと)のヤンゴンエアウェイズで、ヤンゴンに戻ることにしたのでした。

今でこそ、ヤンゴン航空は、ミャンマーの中ではまともな航空会社という認識のようですが、
当時は未知数で、私も聞いたことがない会社だったので、少々の不安はあったのですが、とうとうそのチケットを買ってしまったのでした。
ただピンサルーバの人の、機体は新しいから大丈夫だよという言葉だけを信用して・・・・

やはりバスもと考えましたが、日本ではあんまり見ることのできないプロペラ機にも乗ってみたかったので、様々な葛藤はありましたが、やはり飛行機でヤンゴンに戻ることに決めたのでした。

こういう判断もで悩むのも、旅の楽しみ方の一つではありますね。。



ヤンゴンエアウェイズに乗る朝が来ました。
お世話になった、ピンサルーバゲストハウスでした。
寝坊ばかりする私に、朝食のためにわざわざ、部屋まで毎朝起こしにきてくれた、親切な従業員の方々。
本当に良い方たちばかりでした。ありがとう。

バガンに来ながら、ひたすらに遺跡見物をせずに、ゲストハウスでおしゃべりに興じる、グウタラ者の私の相手もしてくれました。
きっと、心の中で「こいつは何をしに来ているのだろう??」という言葉が頭から離れなかったはずです。
現実に私は、あまり遺跡などは見物せずに、ぶらぶらしていましたからね。

いやいやいや、楽しいゲストハウス、そして楽しいバガン滞在となりました。

今もこのピンサルーバゲストハウスはあるようですね。
またいつか行って、泊まってみたいですね。

この飛行機に乗る朝も、相変わらず心配されて、起こしにきてくれました。
飛行機は朝が早いので、心配だったのでしょう。
朝の7時にはタクシーを呼んでもらい、出発です。

名残惜しい感じはするものの、この去りがたい感覚は、どんな旅でも付きまとうものなので・・・
空港までは意外と早く着いた気がします。

バガン空港は、予想通り小さな空港でした。
チェックインカウンターは、アナログ方式を導入しており、手書きの座席番号が書かれた搭乗券を渡されました。
この座席は、本当に空席なんだろうか???
とにわかに心配になります。オーバーブッキングも怖い・・・・

小さな空港でひたすら、搭乗時刻を待ったのでした。


バガン空港で待っていると何やら、飛行機が到着しました。
やがてヤンゴン行きの、ボーディング開始となりました。

当然ボーディングゲートなんてものはあるわけもなく、飛行機に向かって歩いていきます。
てくてくと、バガンの朝の空気の中を飛行機に向かって歩いていく。
何だか清々しい気分になったことを覚えています。

さてオーバーブックしているのでは??と疑われた手書きの搭乗券ですが、
タラップから機内に乗り込んでみると、案の定指定された席に先客が居るではないですか。。。
ここでふと、ミャンマーの国内線は自由席であるというのを何かで読んだのを思い出し、とりあえず他の空いている席に座って様子を見ることにしました。
自分の席に先客は居ても、他の席は何故かガラガラですからね。

このフライトに先客がいたということは、どこからかやって来たのでしょう。

この後驚くべきことに、日本人の団体がドカッと乗り込んできました。
彼らは特に指定された席でなく、空いている座席に腰掛けていくではないですか・・・
あらかじめ添乗員から、自由席である旨の説明を受けていたのでしょうか・・・・
何という手際のよさでしょう。

結局自分の座席には、正規の客は現れず・・・
ということになりました。
搭乗券の座席場号は飾りだったのですね・・・

それにしても、日本人のツアー客にこんなところで出会うとは・・・
どこにでも行ってしまう日本人はすごいと、改めて関心しました。
半分近くの座席を日本人で埋めた、ヤンゴン行きのヤンゴンエアウェイズは、ほぼ定刻にプロペラの音を轟かせながら、バガンの地を離れたのでした。

バガンを無事に離陸したヤンゴンエアウェイズのヤンゴン行きは、ある程度の高度まで上がり、そのままレベルオフです。
機種はATR-72という形式の飛行機ですね。

プロペラ機ということもあって、比較的低い高度を飛行していきます。
おまけにこの飛行機は、高翼機とあって翼が上の方に装着されているので、どの座席からも下界を見ることができます。(ジェット機では翼の上は景色が見にくい)

せっかくなのでバガンの仏塔群を上空から眺めてみようと思ったのですが、一瞬ちらと見えただけで、すぐに雲海に突入してしまいました。
あー勿体無いと思っていると、わずかな雲の隙間から、少しは下界が見区えました。
たまに畑あり、林もありそうですが、よく見ていると荒野ばかりです。
高翼のプロペラ機は、やはり眺めがよいですね。空中散歩の気分でした。

しかし、30分もしないうちに、飛行機は高度を下ろし始めました。
「おや、ヤンゴンまでは1時間半くらいのはずだけど・・・」と思っているうちに、
どんどん高度を下げていって、やがて滑走路が見えました。
そして着陸です。

「まさか、ここはヤンゴン?」
と思いながら、目を凝らして外を見ていると、
空港のターミナルの上に、"MANDALAY INTERNATIONAL AIRPORT"の文字が・・・・
そうです、ここはヤンゴンではなくて、マンダレーだったんですね。
マンダレー経由のヤンゴン行きとは、特に聞いていなかったので、かなりびっくりでした。

機内放送もミャンマー語でしかなかったような・・・・
私が聞いていなかっただけなんでしょうかねえ。


ヤンゴンエアウェイズのヤンゴン行きは、
マンダレーに一旦着陸しました。

ターミナルビルに横付けされた、飛行機からはほとんどの乗客が降りていきました。
私はそのまま座り続けていると、
スチュワーデスに降りるように言われました。

「いやいや、私はヤンゴンまでよ」と言うと、
ここは経由地で、トランジットであると説明があり、トランジットカードを渡してくれました。
なるほどと納得して、ターミナルビルに入りました。

またマンダレーに戻ってくるとは・・・
何となく短い滞在で済ましてしまった、マンダレーがまた呼んでくれたのかもしれません。
ヤンゴンからマンダレーの厳しい旅路が思い出されます。

やがて放送があり、再搭乗です。
また同じ座席に着席です。
トランジットのお客を先に乗せたので、がらがらの機内でしたが、
マンダレーからのお客が乗り込んできて、搭乗率は70%くらいになったでしょうか。

ヤンゴンエアウェイズは今度こそヤンゴンへ向けて離陸しました。
プロペラ機の離陸を2回も味わえたので、ややラッキーだったかもしれませんが・・
外を見ても、雲間からは荒野しか見えません。
あんまり家がない感じです。
これだけの国土があったら、もっと農業なんかはできないものなのかなあ?
と漠然と考えてしまいました。
豊かな大地を持っているのに・・・・
でも、心が豊かだからいいのかもしれないな。と一人納得している自分でした。

ヤンゴンに戻ってきました。
もう、ミャンマーの旅の終わりが近づいてきました。

マンダレーを離陸したヤンゴンエアウェイズは次はどこも経由することなく、一直線にヤンゴンに飛んできました。
バガンで乗ってきた日本人の団体客は、どうやらマンダレーで降りたらしく、乗り込んではきませんでした。
まあ、ツアーとなると国内移動はほとんど飛行機を利用することになるのでしょう。
まさかバスとかは使わないと思うのですが、どうなのでしょうか。

無事にヤンゴンに着陸です。
飛行機からの景色は相変わらず、荒野ばかりで、人家が目に付かずといった感じでした。
肥沃な大地のミャンマーを、ずっと上から見続けていました。

さて、ヤンゴンは多少土地勘もついてきました。
ヤンゴン空港からは、タクシーに乗り込み、またしても東京ゲストハウスに向かいます。
今回は国内線から降りてきたので、当然のことながら、強制両替はなしです。

東京ゲストハウスは部屋数が少ないので、一杯なのではないかと心配していましたが、着いてみると空きはあるとのことで一安心です。
また、暖かく出迎えてくれました。
「おかえり」といった風な感じですね。
さらに落ち着きましたね。やはりミャンマーという特殊な国を旅しているわけですから、どこか緊張感はあったのかもしれません。

翌日1日は、撤収の準備です。
お土産を買ったり、いろいろです。
強制両替をした人たちは、ここで兌換券をドルに戻しているようでした。
100ドルの兌換券が残っていたら、97ドルくらいの現金は帰ってくるようでした。
どこで替えているのかはよくわかりませんし、聞いてはいけないような気もしましたね。

ミャンマーに別れを告げる日がきました。
早かった10日間でした。

ヤンゴン、マンダレー、アマラプラ、バガンといろいろな町を旅してきました。
どこの町でも、すれていない、ツーリスト慣れしていない、素朴な感じのミャンマー人には、親切にしてもらいました。

もちろん、不親切な人や詐欺まがいの人にも出会いましたが、
比率からすると、そういった人は少なかった気がします。
これまた、旅の出会いはタイミングとやらで、私の旅行中はたまたまタイミング的にそうなっただけなのかもしれません。
そもそも、1999年という10年も前の旅行記を、思い出しながら書き綴っているために、
現在の2009年とは、状況がまったく異なるということもあるのかもしれませんが、その辺はご了承ください。

ミャンマーのお土産のことで一つだけ書き残しておきたいものがあります。
今までに食べたキャンデーの中で、最もまずいというキャンデーです。
何かというと、パッケージからは文字がミャンマー文字で推測不能なのですが、絵から考えるにドリアンキャンデーではないかと思います。
口に入れると、ガソリンの味がします。
帰国後、これを食べたほとんどの人が、口にした瞬間に吐き出しました。
これほど不評であった、海外旅行のお土産は、このミャンマーのキャンデーだけです。
今思えば、何故それを買ったのか思い出せませんが、自分が喉が痛かったからだと思います。
何袋か飴玉の袋を買い、そこでついでに、この飴玉をミャンマーのお土産の一つにしようと思ったのかもしれません。
たぶんMade in Thailandだったような気もするこのキャンデー。
おそらく今は廃盤でしょう。皆さんお気をつけあれ。
タイでもあまり見たことはありませんが・・・

今度はミャンマー航空の国際線。バンコク行きでタイに戻り、ミャンマーの旅は終了したのでした。

今まで、いろいろな国の記事を書いてみました。
ついにインドを書くことになりました。

これまた、私がずいぶん前に行ったインドのことですので、話半分以下で読み飛ばしていただければと思います。
1995年と本当に前の話で恐縮なのですが、思い出風に書き綴っていけたらと思います。

インドに行こうとふと思い立ったのは、何故か??
単に友人からインドに行った話を聞いて、面白そうだなあ。と思ったことくらいでしょうか。

ヨーロッパとかはいつでも行けそうな気がしていたので、ここは思い切ってまったく考えられない国に行こうと、無謀な計画を立て始めたのがそもそもの始まりでした。
海外旅行も初めてとあって、まったくの無知状態。
まったく甘く考えていて、ホテルの予約もせず、飛行機のチケットだけ(すなわちエアオン)で飛び出していくことになったのでした。

インドに、おそらくは呼ばれたのでしょう。
よく呼ばれるという言い方をします。
タイミングとでもいうのか、その時の成り行きで、行ける国、行けない国が現れるのです。
ここで、諦めきれないと無理やりでもその国へ行こうとするのですが、私の場合は、
「ああ、呼ばれてないわけね」とあっさり諦めるのでした。
しかし、何らかの成り行きで、何年かしたら行けることになるのかもしれません。
特にインドあたりは、そんな傾向が強い気もしています。

私は次はいつインドによばれるのかなあ・・・・
さて、次回からはインドについて書いていきます。のんびりと・・・



初めての海外旅行で、何故インドを選んだのか?
何故なのでしょうね。
おそらくインドというか、海外旅行を甘く見ていたのでしょう。

海外旅行も、国内旅行の延長線上にあるとか、勝手な想像をしていましたから。
それは場合によってはそういう国もあるかもしれません。
ただ、インドにはそういう考えは通用しないことを、自分の体で思い知ることになるとは、この時点では想像もできませんでした。

とりあえず、チケットを買っておけば、現地に着いてからホテルを探して、何とかなるだろうという甘い見通しを勝手に描いていたのでした。

ガイドブックを読み、インド関連の本も読み、チケットも購入完了。
一応の準備は整った段階で、旅行当日を迎え、意気揚々と自宅を出発。
ところが、京成スカイライナーが成田空港へ到着する頃になると、一気に不安が倍増してきました。
今までの楽観はどこへ行ったのやら・・・

よく遅れることで有名な、エアインディアのデリー直行便は、本日は遅れなしというラッキーな情報です。
しかし不安は募るばかり・・・
だってまだ出国審査すら受けたことがないんですから・・・・
どうにかチェックインを済まし、出国審査へ。
真新しいパスポートに出国の文字が押されると、さらに不安な気持ちになりました。

初めての海外への出国は皆さんこんな感じに感傷的になるのでしょうか。
これは自国への哀愁ということなのでしょうか。
いろいろなことを考えさせられる一瞬でした。
(つづく)
初めての手続きだらけで、よくわからないまま搭乗ゲートへ。
乗り込んでみると、エアインディア便はそこそこ混んでいました。

現在となっては皆無に等しい喫煙席をリクエストしたので、座席は一番後ろの方でした。
この飛行機はコンビ型といって、貨物のスペースが後ろ半分を占めているので、ジャンボ機としては客室内が短く感じられましたね。
エアインディアも今は全席禁煙になったはずです。

成田空港を離陸したエアインディア機は、どんどん高度を稼いでいきます。
はるか眼下には、地図そっくりな光景が見えました。
房総半島、横浜にあるベイブリッジ、三浦半島、湘南の海岸、伊豆半島。

そんな光景を見ながら、今であれば楽しいのでdすが、
当時は不安が増加していき、もう日本に帰れないかもしれない、これが日本の光景の見納めかもしれない・・・
などと、シリアスな気持ちになって、飛行機の窓に額をおっつけながら、見入っていました。

やがて雲の中に入り、下界は見えなくなりました。
やがて日本の領空を離れていくことでしょう。

ここからインドまでの、長いフライトが始まったのでした。
長いといっても、8時間から9時間くらいのものでしょうけれど。
この間は、インドのカレーの機内食が出ました。
狭いエコノミークラスのシートで、ガイドブックを見たりして、何とか気持ちを落ち着けて、これから始まる長い旅に備えようと思い始めたのでした。
エアインディアのエコノミークラスは、まだ広いほうだということも、後から知ることになるのですが・・・

不安な気持ちは変わりませんが、私一人が騒いでも、飛行機は成田に引き返すわけでもないので・・・もう開き直ったという心境でしたね。
初めての海外に心踊らされ・・・・ああ、懐かしいものです。