私の旅行記というか旅行雑感を書いています。Tripuncleのお店に来る人にも役に立てば嬉しいです。
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2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

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1995年3月1日

トリヴァンドラムからコーチンまで、列車の旅になりました。
バスもあったのですが、やはり列車の方がよいかということで、汽車旅を選択です。

コーチンまでは4時間くらいの旅。
何が待ち受けているのでしょうか。
今回の汽車旅はあえて、2等の車両を使いました。
それほど混んでいないというか、ガラガラに近い状態でコーチンまで行ったので拍子抜けした感がありました。
木製の椅子で、網棚にまで人が寝ているというインドの列車を想像していたのですが・・・

コーチンまでの車窓は、本当に熱帯の中を走る感じです。
ヤシの木がたくさん茂っていたり、
沼地があったり、かと思えば人が住んでいる集落があったり・・・
そんな光景をガラガラに空いた車内から、窓際に頬ずえ付いて、ボーっと眺めていました。
列車はたまに変な縦揺れも起こして、ガシャンと大きく揺れたりもします。
路盤が悪い箇所があるのでしょう。

この辺りは、バックウォーター船の旅で有名なエリア。
複雑なデルタを形成していて、水路が多いのです。
中でもクイロンとアレッピーの間をクルーズする旅行者が多いようですね。
そんな地域を私は汽車で一気に駆け抜けて行ったのでした。

今思えばもう少しこの辺りで途中下車して、ゆっくりクルーズでも楽しむところでしょうが、
当時の私にはそんな知恵はなかったのですね。
海外初めて、しかもインドの地で、どこか余裕を失くしていたのでしょう。
まったくだめですねえ。

列車はやがて、コーチンのエルナクラム・ジャンクション駅に到着しました。
駅を出て早速宿探しです。
今晩一晩だけ宿泊し、明日は飛行機でボンベイに戻ります。
なので、コーチンは本当にただの通過点でした。

コーチンに到着したのが15時くらいでしたので、もはや観光に行くのもかったるくなってしまいました。
泊まったホテルですが・・・
うーん、思い出せません。
確かエルナクラム・ジャンクション駅からそれほど遠くなかったような気がします・・・


1995年3月1日

インドはコーチンの町では、少し時間があったので町歩きを楽しみました。
もちろん歩いての散策です。

コーチンの町は、大きな駅のあるエルナクラム地区、ウィリンドン島、フォートコーチン地区、マッタンチェリー地区などに分けることができます。
エルナクラム地区から他の地区へはフェリーを使って行くことになりますが、バスもありそうですね。

私はコーチンに着いたのが、午後3時ごろ。
宿を見つけたのが、もうすでに夕方に近い時間帯だったので、
もうそれほど詳しく町を歩く時間はなかったのですが、
せめて、エルナクラム地区でも見ておこうと思って、軽めの散策です。

といっても、あまり印象のない町で、正直あんまり覚えていないんですね。
確か駅から海の方向へ歩き、別の地区へ渡るフェリー乗り場の辺りをうろつき、
海沿いの道を散歩した記憶しかありません。
この町は人がトリヴァンドラムよりは、少ない気がしましたね。

「あー明日はもうボンベイに戻るのかあ・・」
などと、楽しかったコヴァーラムビーチでの滞在のことなどを思い出しながら、
対岸のウィリンドン島や、他の島を見ていた気がします。
晩御飯は何を食べたのだろう?と今考えてみましたが、やはり思い出せませんね・・・・

ただの1泊だけの移動途中の滞在となってしまったコーチンですが、
やはりバックウォーターの船旅と、インドの一番南のカニャークマリには行っておくべきだったのかもしれませんね。
それとも呼ばれなかっただけなのでしょうか・・・
などど、今考えれば思いますね。

まあ当時はそれがいいと思っての行動ですから、
良しとしなければなりませんね。それもインド旅のひとつと・・・・

明日は早くも、インディアンエアラインの飛行機でボンベイに戻ります。


1995年3月2日

ついに南インドから去る日が来ました。
今日インディアンエアラインズの飛行機でボンベイに戻るのです。
そしてボンベイからは、もう帰国するだけ・・・・
旅の日々って本当に早いものですね。

1995年当時の、コーチン空港はウィリンドン島にありました。
なので、市内からはタクシーかリキシャですぐに行くことができました。
現在のガイドブックを見て、当時の状況を思い出しているんですが、
なにぶん、空港の位置が当時とまったくずれているものですから、おかしいとは思っていたんですが。

そこで調べてみると、1999年6月に、現在の新空港に移転したとのこと。
プリペイドタクシーなどで、40分くらいかかるみたいで、そこそこ遠いですね。
現在は新空港が完全に機能しているので、私の使ったウィリンドン島の空港は使用されていないのかもしれません。
一部のセスナ機とかが使ってるか、取り壊しか・・という程度でしょうね。
google earthで見てみると、滑走路に×マークが付いていたりするので、使ってない可能性が高いですね。
それとも軍が使っているか。

この日の朝は、ちょっとコーチンの町で朝食を取った後、
オートリキシャーを捕まえて、空港に向かいました。
南部のリキシャーはやる気が無いのか、あんまりふっかけてこなかったので、
値切り交渉にも熱が入りません。
インド人よりもほんの少し高い料金を言ってきてるだけで、決して法外な料金は言ってこないのでした。
私が当たったリキシャーワーラーがたまたまそんな人だっただけなのでしょうかね。
不思議なもんです。

オートリキシャーに揺られて、ものの15分くらいで空港へ。
当時はとても小さなターミナルの空港でしたね。
新空港はきっと大きくて綺麗なのでしょう。
戦闘機も同じ滑走路を使っているらしく、轟音も聞こえてきました。インド空軍ですね。

普通にチェックインをして、普通に搭乗。
確か飛行機までは歩き・・・
離陸も、滑走路に入るやいなや、いきなり加速して離陸。
ローリングテイクオフですね。
空域が空いていて、タキシング中に離陸許可が下りたのでしょう。
飛行機は滑走路の前で停まるものという認識があったので、少々ビックリしたのを覚えています。

こうして、南インドを離れ、再びボンベイの大都会に戻っていったのでした。

1995年3月2日

ボンベイに到着。

こうして南インドから、またしてもインディアンエアラインズの飛行機でひとっ飛びでボンベイに戻りました。
インドは広いなあと実感したものです。
コヴァーラムビーチで出会った日本人の方は、このボンベイから南インドまで列車で行ったとか・・
所要時間は48時間くらいとか聞きました。
かなりハードな旅程になりそうな予感・・・
その列車で48時間の行程を飛行機なら、わずか2時間です。
どれを選ぶかは自分の行動一つなので、良い悪いはないと思います。
何を選んでもきっとそれは、よい思い出となり糧となるはず・・・
手段を自分で決めて移動していく、そんなことも旅の面白さの一つです。

ボンベイの空港から市内へはバスを利用しました。
当時は確かバスがあったのですが、今はないのでしょうか?
そのあたりの情報ははっきりしませんので、これから行かれる方は確認してくださいね。

リムジンバス?といっても、かなりオンボロのバスが、ボンベイ市内のエアインディアオフィスまで結んでいました。
空港でかなり迷ったものの、どうにかそのバスを捕まえて、市内へ向かったと記憶しています。
とにかく年代物のバスだったので、新型が投入されてなければ、今は大変でしょうね。
エアコンもなかったと記憶しています。

市内に到着し、インド門方面へとぼとぼ歩いていると、
前から1人の日本人が近づいてきました。
「こんにちは」と挨拶して、少し立ち話。
話を聞いてみると、どうやら日本語がかなり懐かしい様子でした。
インドの僻地にばかり行き、ここのところ日本人には全く出会っていないとのことでした。
あんまり懐かしそうに話すので、私も引き込まれてついつい長話になり、
しばらく話し込むうちに、部屋をシェアしようということになりました。

ホテルが高いと言われているボンベイの町。
私ももうこのインド旅行は終盤であり、あと2日後に帰国ということになっていますから、
多少宿代が上がってもよいと思っていたものですから、シェアして少し高い宿へということで話がまとまったのです。
インドの最後くらいは少々快適に滞在をと考えたのでした。

またしても、宿の名前は忘れてしまいましたが、
とにかくこうして、再びボンベイの滞在が始まったのでした。

1995年3月2日

コーチンから着いたボンベイで、久しぶりに日本人と会話するという人と、部屋をシェアすることになり、
これで今回のインド旅行最後の地となる、ボンベイの街では快適な滞在ができることになりました。
ホテルの名は忘れてしまったので、ここには書けませんが、
何しろとても前の話ですからね・・・書いたとしてもそのホテルが本当に存在するのかはわかりません。
確か、エアコン付きのインド門近くのホテル、中庭みたいなとこを通ってレセプションへ行った記憶がありますが、定かではありません。2階に上ったとこがレセプションだった気も・・・

ホテルに荷を降ろし、
早速インド門周辺をブラブラします。
インド門のすぐ近くには、タージマハルホテルというインドの高級ホテルがあります。
そのホテルの中に一歩入ると、もうそこは別世界。
我々の泊まっているホテルとは、当然違います。当たり前ですが・・・
入るにあたっては、正面玄関に守衛がいてチェックしていました。
我々ツーリストは、少々汚い格好をしていても無条件で通過できそうですが、
インド人だと、この検問を突破するのは難しいかもしれません。
現に、バクシーシ目当てと見受けられるインド人は、入口で守衛にシャットアウトされてました。

中に入ると、エアコンが熱くなった身体を冷やしてくれます。
快適そのもの・・・
トイレを拝借に行くと、トイレの前では係りの人が居ます。
その人たちは何をするかというと、トイレで用を済ませ手を洗うと、後ろで控えていて、手を拭くための小さなハンドタオルを手渡してくれるのでした。
そのためだけ?に居るのです。
ここで、チップを要求してくるのかと思いきや、そうでもないのが、また違和感あり。
これはタージマハルホテルの特色なのでしょうか?

トイレを済ませた後は、インドの高級ホテルを満喫?するため、
ロビーの椅子に腰掛けて、ゆっくりとします。
ここでも、また日本人に会いました。
京都の医大生でした。
またしても、当然のことながらインドの旅の話で盛り上がりました。
このタージマハルホテルのロビー、周囲を見渡すと、どう見ても泊まっていないと思われる人たちが散見されました。
ここは旅行者の休憩所と化しているのでは?と思った程です。
インド門周辺は、こじきも多いので、そんな彼らに追われたら、このホテルに一旦退避するとか・・・

残念なことに、このタージマハルホテルで、2008年11月にテロが発生してしまいました。
ホテルが占拠され、火災も発生。
その後はどうなったのでしょうか?
内部も相当傷んだと伝え聞いていますが、残念なことです。



1995年3月2日

ムンバイ滞在中には、インド旅行も終わりに近いということで、
ちょっと高級そうな?中華料理店に行きました。
これまた、タージマハルホテルで、出会った日本人5名くらいで連れ立っての話です。

彼らももう明日帰国ということで、
もう思い残すことはないので、今晩はパーッとやりましょう!ということになり、
インド門からそれほど遠くなかったような気がする、香港なんとか・・・という店に行きました。
またお店の名前も思い出せずに、申し訳ないですね。
とにかくインド門からは、乗り物を使わずに歩いていったのを覚えていますから、
それほど遠くはなかったのでしょう。

もちろんエアコンの効いたレストランで、
周りの客層を見てみると、お金持ちのインド人といった風情の家族が多かったのを覚えています。
我々日本人は少々場違いのような気もしましたね。

ここで食べた中華料理で一番記憶に残っているのは、
シンガポールフライドライスです。
何故かって、とっても辛かったからです。
このシンガポールフライドライスを注文しようとすると、
店のインド人が、「このフライドライスはとても辛いけど、いいのか?」
と聞いてきました。
今までのインド滞在で、散々辛いものを食べてきた我々は、大丈夫だろうと考え、
それにまたインド人が適当なことを言ってるんだろう・・くらいに考えていたので、
何も迷うことなく注文してしまったのでした。これが甘かったです。

でてきたシンガポールフライドライス、見た目は全く辛そうにありません。
やっぱりなと思いつつ食べてみると、目が飛び出るとはこのことです。
辛すぎて、もうどうしようもないのです・・・・
辛いのが苦手とかいうレベルでないことは間違いなさそうです。
もだえ苦しむわれわれジャパニを見て、お店のインド人はしてやったりと、ニヤニヤしていました。

いやはや、やはり人の言うことは聞くものですね。
いろんなインド人も居るんだな。信じていいインド人も居るんだ。いったいどこで見分けるんだ?
ということを、ここにいたジャパニ全員はとても感じたことでしょう。
今までの旅でいろんな経験をして、ここがインドで学んだ最も大きかったことかもしれません。
今後の旅の参考になると同時に、インド旅行のよき思い出ではあります。

その後は、多くの水と、コーラを注文したのでありました。



1995年3月3日

天候もよく、とても暑い気候のボンベイの街。
この日はインド門の近くから出る船に乗って、エレファンタ島に行ってみることにしました。
エレファンタ島には、石窟寺院があります。
インドの石窟寺院といえば、エローラやアジャンターの石窟が有名ですが、
そこまで足を伸ばすこともできないので、せめてこのエレファンタ島だけは行ってみようということになったわけです。

タージマハルホテルの前のインド門の辺りから、船に揺られること約1時間。
けっこう距離があった気がします。
遠くにインド海軍の基地を見ながらの、ちょっとした船旅です。

島に着いた後は、両側に土産物屋が並ぶ参道を登っていくと、
頂上に辿り着き、そこに目的の石窟寺院があるというわけです。

石窟寺院の中に入ると、壁にシヴァ神などが掘り込まれていて圧巻でした。
これを彫り込んで形にするには、いったいどれ位の時間が必要だったのでしょうか。
当然、手彫りでやっているわけですからね。気が遠くなります。
何しろ、6世紀か7世紀ごろに作られたものもあるんですから・・・
しかし何故この島に石窟寺院を作ったのか、謎でしたね。
1987年に世界遺産に登録されているようです。

石窟を一通り見て周ると、また帰りの参道です。
ここのインド人は商売熱心です。どこでもインド人は流石に商売熱心ですが・・・
歩いていてちょっとでも足を止めようものなら、
「Hello!Japani very very cheap! No problem!」
こればっかりです。
この切り出しはかなり多かったと記憶しています。
特に「ノープロブレム!」はいつも連発ですから・・・問題があっても「ノープロブレム!」

ある店に入り、一通りみていると、やっぱ例の文句で近寄ってくるインド人。
金属製の灰皿を買おうとして、値段を聞いてみると、言い値が高い。
値切り交渉も難航したので、諦めて店を出ました。
船着場へ参道を歩いていると、さっきのお店のインド人が追いかけてきました。
「ジャパニ!、やっぱりさっきの、あんたの言い値の60ルピーでいいよ」
ここまで追いかけられてこられて、断ることもできずに、購入することになりました。
さすがインド商人侮れんな・・・と思いました。
しかしかなり得した気もしたものです。
だって、200ルピーと言ってたのが、60まで下がったわけで・・・

これがエレファンタ島の何よりの、思い出になりました。

余談ですが、まったく同じものを空港で発見しました。
値札を確認すると、300ルピーとあるではないですか・・・
いったいこれを60ルピーで手に入れてしまった私って何?あのお店はどのくらい儲かった?どうなってるの?
とても奥の深いインドの商売なのでした。
1995年3月4日

とうとうインドの旅最終日になりました。
インドに初めて、しかも海外旅行初めてで入国して、ドキドキした日々からあっという間の2週間。
長いようで、思い起こせばあっという間でした。

今日はボンベイの国際空港から、エアインディアで成田に戻ります。
最終日の朝は、ゆったりとまたいつ来るともわからぬインドを味わうことにしました。
シェアしていたつい先日知り合ったばかりの、日本人ともお別れです。

エアインディアの成田行きは、夕方の出発なので、
2時間前として、15時ごろのチェックイン。
サハール空港までバスで1時間以上かかるとしても、13時に市内を出発すれば楽に間に合うという計算なので、
午前中はたっぷりと時間があることになります。

ホテルで荷物をまとめ、お土産を買い込みます。
タバコはインドの名物タバコのビディーでしょう。
葉巻に近く、火をつけてもすぐに消えたりするんですが、日本では見かけることの少ないタバコですので、喜ばれるかもしれません。
他には、インドのお菓子やら、お香やらを適当に買い込みました。

海外旅行に来てお土産を買うときは、結構迷ったり、悩んだりするものなんですね。
それは今も変わりませんが・・・
逆にお土産を買うのを楽しんでいる人もいますね。
時間を掛けてゆっくり探すのがいいのだとか・・・

というわけで、貴重なインド最後の午前中はあっという間に過ぎ去りました。
エアインディアのオフィス前まで、てくてく炎天下を歩きました。
これまたインド最後の散歩というわけです。なんだか寂しくなりました。

同じエアインディアで帰国する日本人と合流し、
バスに乗り込み空港へ向かいました。
トリヴァンドラムへ向かう朝、タクシーでドキドキしながら通った道を、今度はバスで行きます。
もちろん、途中、わけのわからないガソリンスタンドに寄ることもありませんでした・・・

空港には少し早めに到着しました。
余裕を持ってチェックインです。
後は、機内に乗り込んでおけば日本まで連れて行ってくれます。

こうしてインドの旅は終了したのでした。
意外とあっけない、初の海外旅行のインドでした。



前回で、インド紀行は終了しました。
今回は、インドの総括ということで書いてみます。

初海外のインド旅は、かなり強烈なものでした。
海外旅行がどんなものかわからないのに、ホテルも取らず、ただ航空券だけ持って飛び出したのでした。
今思えば少々無謀。
せめて最初の1泊目のホテルくらいは確保しておきたかったですね。
まあこれも自分が海外をあちこち見て歩くようになってから、得たことなので、当時の自分にわかれと言っても無理な話です。

15年前のインドの印象
今の状況はわかりませんが・・・・

1つ目 まず何でも「ノープロブレム!」で済まそうとすること。
どんなことでもこの「ノープロブレム!(問題ない)」を連発。
値段交渉でも、車がぶつかっても、時間に遅れても、部屋が一杯でも、予約が取れなくても、お金がかかっても、失くしても、ボッタクリや、お釣のいかさまがばれても、とにかく何でもかんでも問題ないと・・・。
まあ口癖ですね。
このことから、インド人もビックリ!という言葉の意味がよーくわかりました。

2つ目 バクシーシ!驚いたのは、こじきが多いことです。余りにも多い。
彼らは道で出会っても、タクシーに乗っていても、バスに乗っていても、出会う人間に片っ端からバクシーシを要求してきます。特にツーリストは格好のターゲットです。
日本にはいないので、かなり初めはびっくりして、おろおろしてしまいました。
バクシーシとは、「お恵みを・・」みたいな意味なのでしょうが、カルチャーショックでした。
子どもや小さな赤ちゃんを抱いたお母さんなども居ました。
特に怖かったのが、スケボーに乗った両足のないインド人でした。これは本当に衝撃的なものでした。ゴーとスケボーの音がしたので、振り向くとスケボーの上に乗ったインド人がものすごいスピードで「バクシーシ!」と迫ってきたのでした。腰が抜けそうになったのを覚えています。
今はどうなんでしょうか?
とにかく、奥の深い話ではありますね。

3つ目 クラクションがすごい
とにかく車のクラクションをよく鳴らすのです。鳴らしている時間の方が明らかに長いです。
渋滞していて遥か前方の信号が青になったら、最後の方の車はクラクション攻撃です。
だって詰まってるのに・・・とよく思っていました。
あまりに鳴らしすぎて壊れかかったような、変な音の出る車もあります。
誰かが、クラクションはハンドルのボタンを押して鳴らすが、インド仕様はその逆にしたらいいと言ってました。
つまり押したら鳴り止む、放している時はずっと鳴ってるというわけです。
そのくらいすざまじいクラクションの音でしたね。

とまあ主要なのはこんなものでしょうか。
とにかく私にとってインドは衝撃的でした。
まさにインドに呼ばれてやって来たのではないでしょうかね。と最近は思います。

1995年という古い話を書いており、これからインドを旅行される方には全く役に立たない情報と思いますので、
あくまで参考にしていただき、最新の情報を入手することをお勧めいたします。
これでインド紀行は終わりますが、まだまだ、私の極楽旅行日記は続きます。
次はどの国を書こうかなと考え中です。それでは。